ジャーナリストの見た南京の証言 元朝日新聞編集局長・細川隆元「虐殺なんて絶対にない」
Chinaが「南京事件」と「(従軍)慰安婦」をユネスコ記憶遺産に登録申請したり、
国家行事に引き上げた「南京事件」記念式典を習近平国家主席が初めて出席して演説したりと、
来年、「抗日戦争勝利70周年!」の大・大キャンペーンやる気マンマンなので、
"ジャーナリストが見た南京の証言" 動画を記録しました
南京大虐殺はあったと思う人こそ見てほしい。
●大阪朝日新聞 山本治 上海支局員の証言
「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。朝日新聞では話題になったこともありません。」
●東東京朝日新聞 橋下登美三郎 上海支局次長の証言
「朝日新聞からは50人近く参加したと記憶している。私が全体の指揮をとっていた。南京の事件ねぇ、私は全然聞いてない。もしあれば、記者の間で話題に出てるはずだ。噂として聞いたこともない。
朝日新聞では現地で座談会もやっていたが(虐殺が)あったのなら、露骨でないにしても抵抗があったとか そんな話が出るはずだ。
「私は南京に1ヶ月いましたが、虐殺をみたこともなければ兵隊から聞いたこともありません。松井(石根)大将が死刑になったのも不思議で仕方がないのです。」
●東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言
「虐殺があったと言われていますが、16、17日頃になると小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵の所に集まってましたから とても残虐行為があったとは信じられません。」
朝日新聞が「中国の旅」という連載で 南京では残虐があったといって中国人の話を掲載しましたが
その頃、日本には南京を見た人が何人もいるわけです。なぜ日本人に聞かないで、あのような都合の良い嘘を載せるのかと思いました。」
●報知新聞 二村次郎カメラマンの証言
「南京にいる間、見たことがありません。どういう虐殺なのか、私が聞きたいぐらいです。」
●細川隆元 元朝日新聞編集局長の証言 1986年8月10日TBS「時事放談」にて
「わしが朝日新聞の編集局長であった時だ。南京に特派した記者たちを集めて南京に虐殺事件があったとかどうとか噂を聞くが本当はどうだ、と一人一人に聞いてみた。
全然そのようなことは見たことも聞いたこともありません、というはっきりした返事だった。何万、何十万なんていう虐殺など絶対にない。絶対になかったと、わしは思う。
以上
ちなみに朝日新聞連載の「中国の旅」と松井石根大将が死刑になった話、三宅久之氏の解説をどうぞ
《《「南京大虐殺と反日プロパガンダ」写真検証、デーブ・スペクターはリトマス試験紙(前半) 【たかじんのそこまで言って 委員会】》》より抜粋
・・・
宮崎氏「だからね、例えば、ユダヤ人大虐殺って600万人と言われてますよねぇ、これはもう世界中が大半の人が認める大虐殺。これは英語ではジェノサイトですよねぇ、つまり民族を滅ぼすと。さっきの世界遺産の例を見てもわかるように、そのアウシュビッツと同列に置こうとしてる、南京の問題をね、南京事件を。それは違うっていうのは然るべき批判だと思うけどね。」
遙氏「元々、論争になったのは何でかって言うと、えーっと昭和46年か7年かな、えーっと、朝日新聞にシリーズで出た、中国への旅(
中国の旅)とか言う、(本多勝一!:宮崎) 本多勝一さんの書いたね、あのシリーズがきっかけで、『えっ?!日本はそんな事してたの?!』って、
あの段階から南京大虐殺って言葉がでてきてるわけですよねぇ。そっから論争が始まって、そっからですよ、人数の問題も、いや実はジェノサイトと似たケースなんだって問題も、いろんな論争が出てきてる、、」
三宅氏「数の事なんかはねぇ、その、遙さん、アンタ聞いたようなことを言うけどけどねぇ、(聞いたからゆうてたんですよ(笑):遥)
ねぇ、いわゆる戦闘行為をやったわけですよね、で、南京城をね、その松井石根を総隊長とする攻撃をする時でもねぇ、ビラを撒いてね、つまり『攻撃するから逃げるものは逃げろ』とかってやってるわけですよ。それから入ってるわけだ、ね。
その攻め始めてからねぇ、その要するに、その国民政府軍が、軍服を脱いで、ラーベというドイツ人が管理してたる国際安全区の中に逃げ込んだわけですよ、みんな、ね。だからそれは要するに便衣隊と言ってゲリラになるわけだ。民間服着て。だからそれを全部徹底的にやっぱりそれは洗い出すわけですよ。だって自分ら後ろからやられちゃ困るから。
その中でね、軍人じゃない者を処刑したのはあったかも分からないと、私も思いますよ。だけどね、意図的にね、30万人殺すなんて、考えてみなさいよ、もう全部死体だから。でねぇ、、」
デーブ「レイプの話はどうなんですか?三宅さん、レイプは? レイプは?それ、、」(話の途中で割って入り)
三宅氏「レイプの話してんじゃないっ
順番に聞けっ!
攻撃の話をしてるんです。
それでねぇ、そん時に松井石根という大将がだねぇ、2回に亘って、内外に記者会見してるんだけど、その会見の時に30万人殺したなんていう責任追及は一言も出てない。(もちろん:宮崎) 日本人の記者が出さないなら分かるよ、情報統制して。アメリカ人やいわゆる当時、敵性国家だった欧米のマスコミも質問してないんだよ。(じゃあ分かった:デーブ) だからなかったということでしょうが!!あれば必ず質問するでしょう!!」
デーブ「ちょっとそれ、30万どうのこうの、さて置いて、例えば236部隊とか、色んなあの、人物実験とか、色んな残酷な行為あったって事はありますよねぇ、。そんなのも一切ないわけですか?」
三宅氏「そんな話、、今、南京大虐殺の話をしてんだよっ!
」
デーブ「いや違う。それと関係してくるんですよ。」
三宅氏「関係してくるか!!
南京大虐殺があったかなかったかの話だ!」・・・
関連記事
《「南京事件追悼記念式典、習近平国家主席が初の出席・演説」への岸井成格のコメント 【サンデーモーニング】》より
30万人の大虐殺が嘘っぱちなのは、皆知ってる事!常識!常識
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だけど、何故ここに靖国問題を絡めるかなぁ・・・(呆)
それ、Chinaの策略に完全に嵌ってるんだけど・・・
![]()
《中国政府が「南京事件」・「(従軍)慰安婦」を記録遺産に申請! 過去、欧米記者を操った情報戦とは 【TBSニュースバード】》より一部抜粋
(中略)
・・・政治的意図アリアリですよねぇ
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そもそも、「南京事件」も「慰安婦問題」も、欧米の記者を利用した捏造・プロパガンダ
![]()
【目覚めよ日本】欧米記者を操った中国 「南京大虐殺」以降も変わらぬ情報戦の巧妙さ (1/2ページ) 2014.04.16
中国・南京市の「南京大虐殺記念館」で行われた追悼式典【拡大】
中国については、韓国と同じように考えてはならない。いずれも地理的に離れることができない隣国だが、その規模がまったく違う。中国は12億人の人口を抱え、GDP(国内総生産)世界第2位の大国である。そして、戦前から、非常に巧妙な情報戦を展開している。「南京大虐殺」は一つの例だ。
南京大虐殺は、蒋介石率いる中国国民党政府が作り上げた壮大なプロパガンダである。中国の情報機関が背後で暗躍し、欧米のジャーナリストを駆使して、巧みに国際世論を誘導した。
「南京大虐殺」を最初に報道したのは、南京にいた『ニューヨーク・タイムズ』と『シカゴ・デイリー・ニューズ』の外国特派員だ。彼らの情報源となったのは、米国人宣教師で、国民党政府顧問でもあったBである。Bは国民党中央宣伝部の計画に従って、虚構の報告を書いたとされる。
また、英紙『マンチェスター・ガーディアン』中国特派員のTが、南京陥落について『戦争とは何か』という本を書き、ロンドンとニューヨークで出版した。内容は中央宣伝部が作り上げたものだが、英国人や米国人は、まさか西洋人がウソを書くとは思わず、内容の残酷さに震撼(しんかん)した。
Tの素性については、中国社会科学院の『近代来華外国人人名事典』に、こう記されている。
「盧溝橋事件後に国民党政府により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」
つまり、中国が公的に認める「スパイ」だったわけである。要するに、中国人が直接関与せず、外国人を利用した情報戦だ。外形的に客観性を持たせることで、抜群の説得力を有することになる。第2次世界大戦後、中国では共産党と国民党が内戦をし、共産党が勝利したが、情報戦の巧妙さは変わっていない。尖閣諸島や歴史問題などで、日本を追い詰めようとしている。
このような中国に、日本はどう対処すべきか。
まずは世界に真実を伝えなければならない。日本の立場が理解されないのは、効果的な発信をしていないからだ。中国は日本が反論しないことに、プロパガンダを多用してきた。中国に勝る情報戦略を練り上げ、世界各国で広報活動を展開しなければならない。
安倍晋三政権になって、国際広報費用が増額されたが、省庁HPへの掲載や国際会議での主張だけでは不十分だ。海外のメディアやオピニオンリーダーを味方につけ、日本の立場を代弁してもらうことだ。専門知識を持つ広告代理店に依頼するのもいい。米国にはそうしたことに長けた会社はいくらでもある。
日本人はいまだに、連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出せていない。日本人自ら、この呪縛を断ち切らねばならない。日本人が本気になれば、すべてはうまくいく。私はそう信じている。 (構成・安積明子)
■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(同)など。ヘンリー・S・ストークスさんは、本当にフェアだけど・・
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《元ニューヨークタイムズ東京支局長、ヘンリー・ストークス氏「河野談話はプロパガンダに利用」&「日本はアジアの希望の光」 【新報道2001】》
それと真逆で、フツーの欧米人はマジ洗脳されています。
でも、「南京大虐殺があったなんて聞くまでもない!」と興奮していたデーブ・スペクターも、検証していく過程で「なかった・・」と認めました
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《「南京大虐殺と反日プロパガンダ」写真検証、デーブ・スペクターはリトマス試験紙(前半) 【たかじんのそこまで言って 委員会】》
そんな中、1冊の本が出版され話題を呼んでいます。『南京事件"証拠写真"を検証する』」と題されたこの本の結論は、南京大虐殺が実際にあったことを裏付けるとされる写真のうち、「証拠として通用するものは1枚もなかった」・・
とにかく、靖国参拝は歴史問題云々じゃなくて、日本人の心の問題なんです!
そもそも、靖国問題を歴史問題化したのは日本のマスコミ・アカヒだし
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《靖国神社問題も!火をつけたのは朝日新聞の加藤千洋記者》より一部抜粋
・・・
"日本軍を極悪非道を仕立てて発信"するのが社是なんでしょうね。
気が付けば、日本はそういう国で、反省がないという国際的にレッテルを貼られている・・・
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銀色の艦隊さまの《靖国神社とは?「たかじんのそこまで言って委員会」動画と一部書き起こし…<靖国神社について解説>負け続けていた情報戦争、靖国は「war shrine」戦争神社ではない!英霊に対し尊崇の念を表し御霊安らかなれと祈る場所。 》 より、辛坊治郎氏のコメント部分を抜粋
辛抱次郎氏
「でも確かにね、確かに田嶋さんのいう事にも一理あるのはですね
これはやっぱり20年ぐらいの情報戦争で、1978年の・・A級戦犯合祀まででこれが問題になる事は・・まあ殆どなかった
だけど1978年にA級戦犯合祀になった後、中国・韓国・朝日新聞・ニューヨークタイムス等が、まず最初に国内で火つけて・・外国で火つけて回って
ヨーロッパあたりで普通の人、アメリカあたりの何にも知らない普通の人達の印象で言うと
え・・それこそヒットラーのお墓に参るのか…っていうようなイメージ持っている人が多いっていう・・
このなんというか情報戦争・・この20年ぐらいで完全に負けてるっていう・・・。」
河村たかし市長の「南京大虐殺否定」発言の時、日本のマスコミが総バッシングしていたのを憶えていますか
富坂氏もシナに歯向かうなというコメント
《【動画追加】「"南京事件"河村発言は、日本のオウンゴール、売名行為」by富坂聰 【キャスト】》 より
この人、China関連の事には必ずコメントを出し、「中国に詳しい富坂・・」と紹介されてるけど、富坂氏に南京事件の何を知ってるの??と問うてみたいです。
日本のメディア自体が敢えて南京(大虐殺)事件を受け入れている気がしてなりません
最後にこの短い動画、是非見てください
南京の人達と日本兵のほっこり動画
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こんばんは~
付け火して、煙(反日)悦ぶ、アカヒかな?
アカヒをはじめ、日本国内に巣食う「反日の屑」は、根拠も何も無いのに、わざわざ、付け火(捏造)して、日本を貶めたい・・・・・
まさに、同じ「遺伝子」を持つにも関わらず、自分自身を殺してしまう「癌細胞」凸(`、´X)
芯から腐った悪臭を放つ「癌細胞」を取り除くには、大手術、抗癌剤の投与、放射線治療など、痛みを伴う治療が必要かと・・・
健全な精神をお持ちの皆さんには、今はつらくても、安倍政権を支えてほしいと思います。
そして、安倍政権には、補助金の吊上げを目論む、中共の走狗「沖縄の屑共」には、厳しい対応をお願いします。
健全な沖縄県民の皆さんには、故郷を中共に売ってまで、自分の欲を満たす屑共を、見抜いて、警戒してほしいです。
投稿: war_cry | 2014年12月23日 (火) 19時22分
今晩は。
支那による歴史捏造を喝破するネタと言えばこちらもいかがでしょうか。
参考記事:「保守速報」様の記事
『【動画】中国出身の鳴霞氏「実は中国共産党と人民解放軍の慰安婦は80何万人もいます。共産党は自分達がやってきたことを隠す為に日本を批判している」』
(http://hosyusokuhou.jp/archives/41896379.html)
そういえば、(既知の事やもしれませんが)支那が早速天長節を妨害し始めましたねぇ。
参考記事:『中国の民間団体、皇居内にある石碑返還求め来日 』
(http://hosyusokuhou.jp/archives/41954477.html)
で、さらには尖閣諸島付近の国連が研究のための自然保護区に指定されていた
場所を潰して軍事拠点を急増するという無法ぶり。
参考記事:「博士の独り言Ⅱ」様の記事
『尖閣北西「中国の軍事拠点」考』
(http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-3286.html)
来年以降は「不測の事態」に警戒する備えも必要かもしれませんね。
投稿: unknown_protcol | 2014年12月23日 (火) 22時17分
●war_cry さん
こんにちは~
>付け火して、煙(反日)悦ぶ、アカヒかな?
アカヒをはじめ、日本国内に巣食う「反日の屑」は、根拠も何も無いのに、わざわざ、付け火(捏造)して、日本を貶めたい・・・・・
まさに、同じ「遺伝子」を持つにも関わらず、自分自身を殺してしまう「癌細胞」凸(`、´X)
まさにまさにその通り!
ガン細胞は根治が必要ですよね。
有無をも言わさず大手術すべきだけどその前に、
せめてアカヒは消火する姿勢を見せろっ!と。
>健全な精神をお持ちの皆さんには、今はつらくても、安倍政権を支えてほしいと思います。
そして、安倍政権には、補助金の吊上げを目論む、中共の走狗「沖縄の屑共」には、厳しい対応をお願いします。
いまガン細胞に立ち向かえる信頼できる政治家は安倍さんしかいません。
次世代の党の復活を待ちつつ、支持し続けなければいけません。
>健全な沖縄県民の皆さんには、故郷を中共に売ってまで、自分の欲を満たす屑共を、見抜いて、警戒してほしいです。
沖縄のガンも取り除かないと中枢も危なくなると思います。
早く目を覚ましてほしいですねぇ・・
投稿: さくらにゃん | 2014年12月26日 (金) 17時17分
● unknown_protcol さん
今晩は。
>参考記事:「保守速報」様の記事
『【動画】中国出身の鳴霞氏「実は中国共産党と人民解放軍の慰安婦は80何万人もいます。共産党は自分達がやってきたことを隠す為に日本を批判している」』
知りませんでした・・!
これ、文字起こしします!
>参考記事:『中国の民間団体、皇居内にある石碑返還求め来日 』
やる事が朝鮮人なみのキチガイですね(・・;)
>参考記事:「博士の独り言Ⅱ」様の記事
『尖閣北西「中国の軍事拠点」考』
シナの軍事的な動き、目が離せません。
「尖閣諸島付近の国連が研究のための自然保護区に指定されていた場所を潰して軍事拠点を急増」
・・・傍若無人にもほどがある(呆)
えっと、常任理事国だったハズなんだけど・・
いつも情報、ありがとう♪
投稿: さくらにゃん | 2014年12月26日 (金) 17時32分
2016.5.1 07:27
【歴史戦 南京が顕彰した男(上)】南京記念館が賛美する元朝日記者 “大虐殺”の宣伝に貢献「小日本にもスゴい記者が…尊敬するよ」
本多勝一氏
「小日本(日本人に対する蔑称)の中にもスゴい記者がいたんだね。尊敬するよ」
中国・江蘇省南京の「南京大虐殺記念館」。展示の後半にある「南京大虐殺史学研究及(およ)びその影響」というコーナーに掲げられたある男性の写真や著作に見入っていた50代の女性が、複数の同行者に大声で話しかけた。団体旅行とおぼしき年配の集団で、おそろいのピンクの帽子には浙江省寧波の地名が読み取れた。
1997年に『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系米国人アイリス・チャンの紹介の左隣に大きなサングラスをかけ、素顔を隠した人物の写真が並ぶ。男性は元朝日新聞記者、本多勝一。「大虐殺」を世界に周知するうえで大きな貢献をした数人の日本人のひとりとして本多は顕彰されているのだ。
■ ■
館内の展示は大半が中国語と英語のほか、日本語の説明も記されている。顔写真の真下に展示されていた本多の著書。ガラスケースの中には『南京への道』『裁かれた南京大虐殺』『中国の日本軍』など5冊が並べられていた。
のぞき込んだ60代の男性は「日本人が研究した南京大虐殺の真相の本なんだから、なんで日本人全員が読んで謝罪しないんだ?」と、横にいた女性に向かって話した。
本多が取材で使ったというフィルム式の小型カメラ2台と、使い捨てのノック式ボールペン1本が仰々しく飾られていた。証言を丹念に集めた取材で「真相」を本多が突き止めて告発した、とアピールしたかったようだ。
団体旅行の男女に話しかけたい衝動に一瞬かられたが、4年前に記念館で取材していた共同通信の男性記者が「おまえは日本人か」などと叫んだ中年の中国人の男から首を絞め上げられ、別の男からも殴る蹴るの暴行を受けた事件が頭をよぎった。
このため展示の前でしばらく黙って観察していたが本多の存在を事前に知っていたと思われる中国人は見当たらなかった。参観者の多くは展示をみて、初めて「本多勝一」の名を知り、その上で「朝日新聞」に好印象を抱いたようだった。
同じコーナーには、旧日本軍人としての南京での経験から「南京大虐殺」を告発したという著書『わが南京プラトーン 一召集兵の体験した南京大虐殺』を昭和62年に出版した東(あずま)史郎の顔写真のほかに、「中日友好」と東が書いた色紙も飾られていた。日本では日中両国について記す場合、「日中」と表現するのが通例だが、東はあえて「中日」と中国を先にした。
東は元上官から名誉毀損(きそん)で提訴され、東京地裁で「残虐行為を裏付ける客観的証拠はない」として損害賠償を命じられたが、控訴した。平成12年1月には最高裁で敗訴が確定している。記念館の展示ではそうした事実にはなんら触れず、本多やアイリス・チャンと並ぶ尊敬すべき人物としてスポットライトを浴びていた。
■ ■
記念館であえて日本人の名前を出し、写真や物品まで展示して中国人にシンパシーを感じさせようとする狙いについて、南京のある歴史研究家は、「『少数の日本軍国主義者と大多数の日本人民を厳格に区分せよ』という毛沢東の対日政策『二分法』が南京でも生きている」と語る。
二分法は「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛の理論。日本人全員を敵に回すことは中国にとっても得策ではないという。
記念館は熊本地震に対し、4月15日にインターネット上で「友人のみなさんご無事ですか?」とする異例の見舞いメッセージを発表した。中国語のただし書きで、「熊本出身者を中心に編成された日本陸軍の師団が南京大虐殺の元凶だったが、熊本県日中友好協会の関係者が20年以上も記念館を訪れ、犠牲者を悼んでいる事実がある」などと説明した。善意に基づくメッセージと思いたいが、本多らを展示でたたえた手法に近い印象も残った。
「愛国教育基地」として、地元や周辺地域の小中学校の児童や生徒の必須の参観場所となっている記念館。中国の主張に同調する発言を行う日本人や関係者のみを“味方”と位置づけて、それ以外を敵視するという「二分法」を実践するほか、日本国内の世論を分断させることも対日工作の基本だと植え付けようとしているようにみえる。
◇
根拠なき「30万人殺害」 南京での取材「2日間で4人」
「南京大虐殺記念館」で顕彰されている元朝日新聞記者、本多勝一はカナダ北極圏の先住民に密着取材したルポルタージュなどで評価を高め、かつて「『朝日』のエース」(「週刊新潮」昭和46年9月25日号)ともてはやされたジャーナリズム界の“寵児(ちょうじ)”だった。
その本多と「南京」のかかわりは46年、朝日新聞夕刊での連載記事に始まる。タイトルは「中国の旅」。この年6月から7月にかけ約40日間、本多が中国各地を回った際の取材ルポだ。
連載は8月から12月まで全40回に及び、旧日本軍兵士らが中国各地で行ったという生々しい「残虐行為」を毎回のように克明に伝えた。
「強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」
「日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した」
これらは、本多が中国で取材した「生き証人」らが語った内容だった。にわかには信じがたい「蛮行」の数々は、当時の日本社会に大きな衝撃を与えた。
反発も大きく、一連の記事は、旧日本軍関係者らが否定したり、多数の疑義が呈されたりした。朝日に対しては「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(朝日新聞社史大正・昭和戦前編)といい、論壇では「中国の旅」が報じた「南京大虐殺」などをめぐって論争が巻き起こる。
■ ■
「日本軍は長江に近い二つの門も突破して、南京城外へくりだした。(中略)南京城北七キロの燕子磯では十万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追出しておいて、機関銃で皆殺しにした。(中略)南京城内も合わせて約二十万人が殺されたとみられている」(46年11月5日朝日夕刊)
これは9歳のころ、「南京大虐殺」を体験したという南京港務局内河船員の姜根福(連載当時43歳)が、本多に語った12年12月の南京陥落後の状況だ。
「中国の旅」第3部は「『南京大虐殺』の被害者たち」の証言を10回にわたり伝えた。46年7月、空路南京入りした本多が、「二日間に四人から取材した」内容だ。
四人のうちの一人、姜の話を基に本多は「紫金山でも二千人が生埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された」(46年11月5日)とも伝えた。
広島、長崎への原爆投下による合計犠牲者(推定)に匹敵する20万人や、「南京大虐殺記念館」の入り口に大書されている30万人が犠牲者数としてさらりと登場する。だが、姜は何ら根拠は示していない。
一方、12年12月の南京攻略戦時、取材団80人あまりを現地に送り込んだ朝日新聞は、本多の記事とは全く異なる情景を報じている。
「中山路の本社臨時支局にゐても、もう銃声も砲声も聞えない。(中略)もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るやうな錯覚を起す。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹返して居る」(「東京朝日新聞」12年12月16日)
連載当時、南京攻略戦に参加した元兵士や従軍取材した朝日新聞記者が多数存命していた。にもかかわらず、本多が日本側の証人に、裏取り取材をした形跡は見られない。
「南京事件」をめぐるプロパガンダ(政治宣伝)を研究している明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次はこう指摘する。
「彼のルポルタージュは中国の“御用聞き”よろしく、史実に対する一切の検証も批判も度外視し、中国側の言い分を朝日新聞を通じて、一方的に垂れ流すものにすぎない」
■ ■
「歴史戦」取材班は4月、本多が編集委員を務める週刊金曜日編集部を通じ、「中国の旅」第3部で取り上げた中国人の証言や証言に基づいて報じた内容がすべて「歴史的事実であると考えるか」と質問した。同編集部によると、本多からは「『産経新聞』の取材・報道姿勢等にこれまで多くの疑義を抱いているため、回答は差し控えたい」という趣旨の連絡があったという。
取材班は朝日新聞広報部にも「中国の旅」に関して「事実と異なる部分」について今後紙面で訂正や取り消しをする予定はあるか質問した。広報部は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」としている。(敬称略)
◇
中国が「南京大虐殺」を広めるうえで大きな役割を果たした本多勝一。「歴史戦」第16部では、本多の記事が与えた影響について検証する。(敬称略)
http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010031-n1.html
2016.5.2 13:00
【歴史戦 南京が顕彰した男(中)】なぜ中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録しながら証拠開示を拒むのか? 「中国の旅」の影響なお
中学校教科書検定結果が公開され、戦後問題について記載された教科書 =東京・霞が関(大西正純撮影)
■「朝日記者著書は必読の教材」
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は昨年10月、中国提出の「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した。「大虐殺」を示す文書や写真などで構成されているとされるが詳細は明らかになっていない。中国が公開を拒んでいるためだ。
外務省の国際文化交流審議官、下川眞樹太は4月28日、自民党の部会で中国側が「技術的な問題」を理由に、登録資料の大半の閲覧を拒んでいると説明した。登録資料は中国国内の公文書館などに保存されている。外務省が一部施設で資料を確認した後、2月に検証を進めようとしたところ、態度を急変させたという。このため、日本政府はいまだ登録資料の真贋(しんがん)性を検証できていない。
出席議員からは「都合が悪いから見せないのではないか」との意見も出た。“証拠”であるはずの資料を中国がひた隠しにする「南京大虐殺」だが、今の日本の教科書には「事実」として掲載されている。
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「日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)」
今年度から筑波大付属駒場中や灘中など最難関校を含め、30以上の国立、私立中で使用される「学び舎」(東京)の中学校用歴史教科書の記述だ。
東京書籍の中学歴史教科書も「女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と記載し、「『南京大虐殺』とも呼ばれます」と注釈を付けた。
「南京事件」は戦後、一貫して歴史教科書に記載され続けてきたわけではない。東京書籍の中学歴史教科書の場合、昭和53年度用(52年検定済み)から「南京虐殺」の文字が登場した。
犠牲者数はこの時点では「おびただしい数」とあったが、その後、「20万以上ともいわれる」「中国では(中略)30万以上とみている」(59年度用)と記されるようになる。
「南京事件が初めて教科書に登場したのは、昭和49年度の中学校の検定の際であった」
「以後、他社の教科書にも同様の記述が見えるようになり、次いで高等学校の日本史教科書にも及ぶようになっていった」
文部省(現文部科学省)で教科書調査官を務めた時野谷滋は自著でこう述懐している。49年は元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」の連載の3年後、ベストセラーとなった単行本出版の2年後に当たる。
歴史教科書における南京事件の記述を調べた明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次は解説する。
「教科書の執筆から検定までに通常1、2年かかることからすると、49年に突如、南京事件が教科書に登場したのは、朝日新聞が連載した『中国の旅』の影響なしには考えられない」
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もっと明確な形で「中国の旅」の影響を受けたのは、教科書に合わせた教師用指導書だった。例えば実教出版の教科書「高校日本史」用の指導書(61年検定済み教科書用)は、本多の著作をこう強く推薦する。
「中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる」
『中国の日本軍』とは『中国の旅』の姉妹編で旧日本軍による「残虐行為」とした写真を多数、掲載している。腹部が裂け内臓が見える女性の遺体や焼け焦げた遺体など思わず目を背けたくなる写真ばかりだが、そこにも中国のプロパガンダ(政治宣伝)の影響が色濃くうかがえる。
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■兵士が保護→婦女子狩り/鶏を購入→略奪…中国が朝日写真悪用しうのみ
元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の日本軍』(昭和47年)には、小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに、橋を渡る女性や子供たちの一群の写真が掲載されている。説明文はこう断言している。
「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ」
だが、この写真は12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」であることが後に判明した。
鶏2羽を肩から提げて笑顔を見せる日本兵の写真も同様だ。説明文には「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」とある。
これももとは12年12月5日発行の「支那事変画報」(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)の掲載写真で実際は代価を払って鶏を購入していた。
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2枚の写真には共通項がある。ともに1938(昭和13)年に中国で発行された『日寇暴行実録』に収録されていることだ。
『日寇-』は日本軍がいかに凶悪かを内外にアピールするため、蒋介石がトップの国民政府軍事委員会がまとめた戦時プロパガンダ(政治宣伝)本である。
2枚の写真は日本の雑誌から無断使用され、『日寇-』に転載された段階で、キャプションが捏造(ねつぞう)された。『中国の旅』も『日寇-』が使用したのと同じ写真を多数、掲載している。
このようなずさんで誤った内容であったにもかかわらず、教師用指導書で強く推薦されたことから、本多の著書を使用した教員も少なくなかったとみられる。中国の戦時プロパガンダは朝日新聞を介して日本に広まり、青少年の教育現場に浸透していった。
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三省堂発行の高校日本史の教師用指導書(平成元年3月初版)は「追加史料 南京大虐殺の証言」として、本多の『中国の旅』から機関銃による住民10万人の殺害などを語った姜根福の証言などを引用している。「解説」欄では、「(旧日本軍の)2人の将校の間で、どちらが先に中国人を100人殺せるかという殺人競争」と書き、いわゆる「百人斬り」を「史実」として紹介した。
本多は姜が語った話としてこう報じていた。
「AとBの二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……」
「結果はAが八十九人、Bが七十八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約十五キロの間に、もう一度百人を殺せ、と」
姜自身も示唆しているがこれは戦時中に東京日日新聞(毎日新聞の前身)が報じた記事を基にしている。東京日日で2人の少尉の撮影に携わった元カメラマン自身が「あり得ない話だ」と否定している話である。
毎日新聞自体も元年に発行した「昭和史全記録」で、「この記事の百人斬りは事実無根だった」とかつての自社報道を否定するなど、戦意高揚のための創作記事だったことが通説になっている。
ところが、「中国の旅」の影響で、この虚構が学校の教室では「歴史的事実」とされてきた。最近では24年に富山県で行われた日教組の教育研究全国集会で、百人斬りを題材にしたこんな「平和学習」の教育実践が報告されている。
「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」
「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」
百人斬りの新聞記事や写真を用いた授業を受けた生徒らは、「中国人は日本からされたことを許せないと思う」「つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」などの感想を述べていた。
朝日新聞が26年に設置した慰安婦報道検証のための第三者委員会では、慰安婦狩りを偽証した吉田清治に関する報道と類似したケースとして、百人斬りがこう取り上げられている。
「戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、『審判』のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった」
朝日報道を「事実」と認識して引きずられ、ゆがんだ歴史観を教えた教師も、教えられた生徒も被害者だといえないか。(敬称略)
http://www.sankei.com/politics/news/160502/plt1605020007-n1.html
2016.5.4 09:53
【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかった…「中国の主張を代弁しただけ」 虚偽拡大 慰安婦問題と同根
昭和史を研究してきた田辺敏雄は「中国の旅」を執筆した元朝日新聞記者、本多勝一とその連載記事を単行本、文庫本として刊行した朝日新聞社に憤る一人だ。
「朝日新聞は数多くあったはずの抗議や反論を軽んじ、『中国の旅』に実名で書かれた人々の名誉を傷つけ、日本人に大虐殺のぬれぎぬを着せた」
田辺がここで言う「大虐殺」とは南京事件のことではない。本多が連載の前半で大きく取り上げた「万人坑」のことを指す。本多は昭和46年6月下旬から7月はじめにかけて中国東北地方で取材した内容を4部構成の連載の前半で報告した。「万人坑」は第2部のタイトルとなっている。
「万人坑とは、虐殺された中国人の死体を集めて、何千人、あるいは万単位で埋めた巨大な『ヒト捨て場』である」(46年9月13日付朝日夕刊)
「中国の、とくに東北地方には、鉱山や大工事現場に、必ず万人坑ができました。何千人、何万人という中国人の死体の丘です」(同10月6日付夕刊)
戦時中、旧満州の日本企業の鉱山や大規模工事現場では過酷な労働で「使い殺され」た中国人労働者の遺体や「消耗して動けなく」なった労働者を生きたまま、万単位で埋める「ヒト捨て場」が「必ず」あり、それが「万人坑」だと本多は伝えたのだ。
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連載では、南満州鉄道株式会社が経営していた撫順炭坑(遼寧省撫順)と南満州鉱業株式会社(南満鉱業)のマグネサイト鉱山(同省大石橋)が取り上げられた。「万人坑」は撫順に30カ所以上、大石橋には3カ所と報告されている。本多はこう解説する。
「仮に一日平均二十人が“消耗”されるとしよう。百日で二千人、一年間で七千三百人に達する。『万人坑』という言葉のように、ひとつの万人坑を一万人とすれば、この大石橋にある三つの万人坑(三万人)ができるまでに、ほぼ四年あればよい」(同10月11日付夕刊)
大石橋の「万人坑」の一つ「虎石溝万人坑」。現地で「階級闘争を決して忘れるな」と正面に書かれた入り口を通過し、白骨死体の「厚い層」を見た本多は、感想をこう書き記した。
「私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった」
白骨死体の写真も朝日の紙面に掲載された。
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「万人坑」に強い疑問を抱いた田辺は調査を始めた。旧撫順炭坑、旧南満鉱業の関係者らにアンケートを送付。回答した約60人と面会するなどしたところ、全調査対象者が次のように答えた。
「万人坑を見たことがない」「万人坑という言葉も知らなかった」
田辺は平成2年、雑誌「正論」(8月号)で「万人坑はなかった」とする調査結果を発表した。これに本多は「少数のアンケートで断定するのはおかしい」と反論した。
双方の主張の食い違いを受け、旧撫順炭坑関係者らでつくる東京撫順会は約1000人の全会員にアンケートを送付した。469人から得た回答を精査し、同会は「強制労働による犠牲者の“人捨て場”としての万人坑がなかったことははっきりした」と結論づけた。
旧南満鉱業の幹部らは連載当時に朝日に「万人坑は事実無根だ」と記事取り消しを求めていた。だが、「門前払い」だったという。
本多にも撫順炭坑で電気技師をしていた久野健太郎が手紙を送って抗議した。本多は昭和61年3月、久野にこんな返信を寄せた。
「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」
連載当時は多くの人が存命だったはずだが、本多や朝日が日本側関係者を取材した形跡は見当たらない。
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田辺の問題提起をきっかけに「万人坑」は改めて関心を集める。元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」連載から約20年後のことだった。中国人労働者を使い捨て、死なせたとの汚名を着せられた当時の関係者らも再び動き出した。
平成3年4月、東京撫順会は朝日新聞に記事の取り消しを申し入れた。
「万人坑は作り話、あるいは著しく事実と相違したものを、事実であるかのように記述してある」
「本多記者は『中国側の言うのをそのまま代弁しただけ』ともいうが、このまま放置すれば、作り話などが『歴史的事実』として確定してしまう」
すでに『大百科事典』(平凡社、昭和60年版)のように本多の「中国の旅」に依拠して「万人坑」を記載した事典が現れていた。
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南満鉱業社友会も続いた。平成3年4月、本多の記事は「とんでもない虚報」「事実であるがごとき報道をされたままでは、同僚に対して、また国民に対し申し訳がたたない」として、朝日に「万人坑」報道の関連部分の削除や単行本、文庫本『中国の旅』の廃刊、回収を求めた。
朝日は要求には応じず、3年6月、読者広報室長名で両団体に書面でそれぞれこんな回答を寄せた。
「万人坑については、本多を含め私どもといたしましても、さらに調査を進める必要があると以前から考えています。(中略)この際、東京撫順会の方とも共同で調査出来れば幸いと存じます」(東京撫順会に)
「本多は『万人坑』など当時の聞き書きについて、こんどは『旅』ではなく、改めて精密な現地取材をすることを考えております」(南満鉱業社友会に)
産経新聞は朝日新聞広報部と本多に対し、その後、取材したかただした。本多は回答しなかった。朝日は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」とした。
裏付け取材もないまま一方の主張のみを報じ、反論に対しては真摯(しんし)に向き合おうとしない。韓国・済州島で女性狩りをしたという吉田清治の虚偽証言の関連記事をはじめとする慰安婦報道では、こうした朝日の姿勢が厳しく批判された。数々の疑問や反証から耳目をそらし、長年非を認めずに虚偽を広め続けたからだ。
吉田の虚偽証言について、いまでは政府さえも「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本と韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」との見解を示すようになった。
本多と同世代の元朝日新聞記者でジャーナリストの長谷川●(熈のノを取り、巳が己)はこう慨嘆する。
「批判や反論を踏まえず、日本側関係者の取材もしないのは新聞ではない。単なるアジビラだ。慰安婦問題での病理は、前段階として『中国の旅』の連載時にすでにあった」
昭和46年10月6日付の朝日夕刊に掲載された「中国の旅」第2部「万人坑」の初回記事。本多は第1部の連載に非難や疑問が寄せられたことを紹介した上で「代表的な疑問に、まず答えたいと思います。まず、『今さら、あんなことを掘りかえすなんて』という場合の『今さら』について」と切り出した。
「『今さら』と、この問題にふれまいとする態度は、日本を見つめるアジア諸国に、不信と警戒の色をますます強めさせるだけでなく、『今さら』と考えること自身がみずからの目をおおって、今こそやるべき問題をやらずに逃げていることの現れかもしれません」
今回、40年以上前の連載に対する産経新聞の問題提起に本多や朝日はあるいは「今さら」と思ったかもしれない。だが、「中国の旅」によってゆがめられた歴史の再検証は、朝日が慰安婦問題をめぐる過去の虚偽報道をようやく認めた「今こそやるべき問題」ではないか。(敬称略)
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この企画は阿比留瑠比、有元隆志、河崎真澄、田北真樹子、田中一世、原川貴郎が担当しました。
http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n1.html
投稿: 南京が顕彰した男・本多勝一 | 2016年5月 4日 (水) 22時53分
●南京が顕彰した男・本多勝一 さん
本多勝一・南京大虐殺 まとめ、ありがとうございます。
ご存知の通り、本多は「週刊金曜日」の編集委員
《【風刺問題】2006年週刊金曜日主催市民集会の皇室中傷・侮辱芝居 (佐高信・本多勝一・中山千夏・永六輔)》
http://dametv2.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-5658.html
日本を貶めて喜んでいるサイテーの人種ですね。
投稿: さくらにゃん | 2016年5月 5日 (木) 20時31分