「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 前半 【NNNドキュメント'16】
第11回日本放送文化大賞グランプリ・ 民放連賞最優秀をW受賞した
「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」/ KRY山口放送という番組の書き起こしをして記録しました
番組内容(NNNドキュメント'16)
太平洋戦争の敗戦を機に、本土への引き揚げを余儀なくされたのは軍人だけでなく、 これまで築き上げてきた資産を放棄した、着の身着のままの一般の人々でした。
山口県長門市の仙崎港は、全国でも5番目に多い41万人が引揚げた港です。
そこで引揚げの援護業務にあたった、厚生省の記録を探ると、私たちは聞き慣れない言葉を見つけました。「特殊婦人」の文字です。それは一体何を意味するのか…私たちの取材が始まりました。
全国で最も多くの人が引揚げた博多港、そして佐世保港へと取材を進めるうちに、当事者たちの記憶の奥底には、70年間、家族にも打ち明けられなかった、深い悲しみがあったのでした。
特殊婦人・二日市保養所に関しては、証言だけでなく資料がしっかり残っているので、「朝鮮人慰安婦」の話とは説得力が違います。
本来、人権派の皆さんはこのファクトに対して力を注ぐべきなんですが、
日本女性は名乗り出ない
・・・その意味も分かります!
それにしても「マダムダワイ」のソ連兵は、人間じゃなくて獣・・・
戦争に負けるって悲惨なことです。
71年前、祖国・日本が負けると大陸に暮らしていた女性達にはどうしようもない事が待っていました。
身にはボロ布を纏い、足に履物はなく、見るも無残な姿で日本へ引き揚げてきたのです。
日本海を臨む山口県の(長門市)仙崎。この小さな港に、全国で5番目に多い41万人が引揚げました。当時、国が残した引き揚げの記録があります。
『仙崎引揚援護局史』・・・検疫・医療・物資などについて書かたその中に、私達は聞き慣れない言葉を見つけました。「特殊婦人」です。
「特殊婦人」とは・・。北朝鮮や満州からの引き揚げ婦女子には現地で暴行を受けた結果、身体に異常をきたしている者がいる。
国はそんな女性達を「特殊婦人」と表現していました。港には特殊婦人達の話を聞けるよう相談所が設けられました。『婦人特殊相談所』です。
北朝鮮と満州から上陸する特殊婦人の数を月毎に記録していました。
暴行を受けた女性達の相談に乗り、把握しようとしたのは妊娠や性病。相談を受けた女性の5%、500人以上が妊娠または性病を患っていたと記録されています。
それが戦争に負けるという事。
「マダムダワイ マダムダワイってね、女くれ女くれって、、」
「マダムダワイって言って入ってくるんですよ、、」
「マダムダワイってしますよね、、」
「パーンって空に向けて(撃ち)脅かすんですからね、逆らうことできんかった、、」
「お母さんの目の前で銃を突きつけられて娘が犯されるっていうのはどういう気持ちだと思いますか、、」
戦争の終わりは女性達にとって、新たな戦いの始まりでした。引き揚げ者の記憶の奥底を見つめました。
特殊婦人とは・・・私達は引き揚げ者を訪ねました。
深澤幸代さん(89)。19の時北朝鮮から引き揚げました。向こうで覚えた朝鮮漬けは今も毎年作ります。
「北朝鮮は寒いっていうか、痛い。私なんか教室にね、ストーブ3つ置いておいて、で学校に行くまでに睫毛が凍るんよ」
![]()
深澤さんは北朝鮮の南部・平壌に程近い鎮南浦(チンナンポ)で育ちました。敗戦から間もなく町の様子は一転します。
ソ連軍が押し寄せて来たのです。深澤さんの両親は、年頃の娘・幸代さんを2ヶ月間天井裏に隠しました。
男のように頭を剃り、食料は天井の隙間から入れてもらいます。寝るのは細い柱の上、用を足すのは壷の中でした。
「怖いとか何とか通り越してね、どうしたら生きられるだろうかと、、両親がいるから生きにゃならんと思うでしょ。それがゲルマンと戦ってきたもん(ソ連兵)だから一番荒いのが来たの。それを第一に何を目的にするかって言ったら、女性なんです。そうすると私達が一番酷い目に遭ってるわけ、、」
国会の議事録の中に、現地で日本人女性の被害に及ぼすソ連兵に関する記述を見つけました。
ソ連兵は粗野で、一面野獣的な性格を所有し、シベリアの囚人をかり集めて組織されていた
「本当、やられた人たくさんおる、小さい子供ね、1歳2歳の子供????に入れても声がするからダメじゃないですか。友達もたくさんイタズラされた。死んだ人もたくさんいる。
(当時はどうしようもなかった?)どーしようない、どーしようもない。それが戦争に負けたっていう事でしょ。日本人が手を出す事、全然出来ないもん。逃げる事が一生懸命、どこが手助け出来ますか、日本から来ることは全然ない。だから私達もクラスの中で1/3は帰ってないから、どういう死に方しているか分かりません。」
いくつもの国や地域を統治下に置き、領土と勢力圏を広げていった大日本帝国。
新天地での成功を夢見て多くの人々が海外に渡りました。満州などには国策の開拓団として27万人が移り住みました。そして敗戦・・
海外に取り残された日本人、その数660万。軍人は武器を捨て、一般人は現地で築いた財産を捨て、皆一斉に本土を目指しました。
しかしソ連軍の占領下にあった満州と北朝鮮からの。 は、数ヶ月から1年以上大幅に遅れました
アナ「山口放送では今年に入って引き揚げに関する特集を放送しています。このように多くの方々から貴重な体験記をお寄せ頂いています。本当にありがとうございます。」
の体験を聞かせてほしいと、山口県内の視聴者に呼びかけたころ、多くの反響がありました。私達は寄せられた手記を元に取材を進めました。
敗戦から1年後に北朝鮮から引き揚げた小林茂さん(81歳)。
「ああ、戦争に負けたんだなっていうのがね、ハッキリと1人1人の胸にね、叩き突きつけられたっていうかね、、」
小林さんの手記は90ページに及びます。戦後80年にはもう生きていないかもしれないと、前々から少しずつ書き進め、地図などの資料も合わせて作りました。
「これ、父の転勤したコースなんですけどね、ここでね、球場ってとこですけどね、ここで敗戦になったんです。」
敗戦当時、小林さんは11歳。父親を戦地へ送り出し、家の中は母と子供達だけでした。
敗戦後すぐに街はソ連軍に占領され、日本人は長屋に押し込められます。その後1年間毎日のようにそこにやってきたソ連兵。
「マダムダワイ」女を出せと大声で喚き、発砲したのです。
「抵抗するものは撃ち殺すんですよ、もうマンドリン銃ゆうて、この位の小銃で、それガーンと撃つんです。そういったのを見てるんですよ。もう全部裸にされるんですよね。そして後ろ向けってな格好なんですよね、だからねぇ、もう犬が盛っているようなカンジのね、まぁ言えば男女間のセックスしてるんですよ。口の中にね、銃を持っとるんですよ。ほいで周りに男性が1人か2人おるんですよ、次の人が待っとる、それで強姦しよるんですよ。
それでこん畜生、体を開かんかったらボンッ、と撃つんですよ、目の前で。ほんでそれを引きずり出して次の、、もうそんな事考えられませんよ、あの状況の中で。(昼の日中でも?) そうです。雪の中でも、道路の中でもそうです。」
恐怖と興味が混ざり合う心で初めは遠くから見ていたという11歳の小林さん。しかし、幾度もその場を目にする内に自分に出来る精一杯の事をするようになったのです。
ソ連兵が去った後、放心状態で動けない女性の為に服を拾い、湯を沸かし、体を拭き・・そんな11歳の記憶を子や孫達にもいつか知ってほしいと手記にしました。書き終えて肩の荷が下りたと言います。「重かったですねー、それを抱えとるっちゅう事が。だからね、家族にも言えんし、今初めて話すんですけどね、秘密っちゅう事はないけどね、自分のこの負の世界っちゅうのをね、抱えとるっちゅうのはほんっとに厳しかったですね。
で、まさかこういう風にしてね、読んで下さるとは夢にも思わんで、ただ原稿ぼしゅうしてますよって事で出したんだすけどね、だから考えてみましたらしあわせだなぁ、、聞いてくださる方がおられるって事は幸せやったと思ってね。(涙を拭く)ごめんなさい。
だから子供も戦争の後の辛さっていうのはあったんですけどね、子供を持っとる親はまだ辛かったと思うんですよ。無事に連れて帰らにゃいけんしね。」
性暴力から逃れる為に2ヵ月間、天井裏に隠れた深澤さん。
女学校時代をすごした北朝鮮の町・チンナンポからの引き揚げ者と今も交流を続けています。皆当時の記憶は鮮明に残っています。
![]()
「マダムダワイ マダムダワイってね、女くれ女くれって、、」
「マダムダワイって言って入ってくるんですよ、、私達は畳を上げて床下に隠れました」
ソ連兵に怯える日々。チンナンポの日本人会の幹部達は悩んだ挙句、特定のの職業の女性達に犠牲になってもらう事に決めたのでした。
「一般の婦女子が危険な目に遭うので、あなた方は済まんけども何とかそういう人達の事を考えて助けてやってくれないかという事で、そういうお姉さん達に頼んだわけです。」
「水商売の人がおられて・・・なんか皆からお金を集めてね、申し訳ないけどって言って、まぁ素人の娘がねそういう目に遭うのは可哀想だからっていう風な、、」
敗戦から1年後、集団で町を脱出。しかし引き揚げる道中に女性を要求するソ連兵が待ち伏せていました。その時も・・
「これ言っていいかどうか・・・いまだに胸が痛みますけど、女の人4人選び出してですね、ロスケ(ソ連兵)に与えたんですよ。そしてその間に私達は移動しました。自分だけ今幸せで居れるって事はねぇ・・・」
新田浩治さん(78歳)。
敗戦の翌年、満州から引き揚げました。暮らしていたのは満州最大の都市・奉天。
父親は国民学校の校長を務め、3人の女中と2人の運転手を抱える生活でした。
しかし敗戦後、ソ連兵は銃を撃ちながら家の中に押し入り、金目の物は全て奪って行きました。そしてここでも・・・
「丁度皆兵隊にとられてますよね、家には子供と奥さんしかおらんでしょう。皆奥さん方は軍服を着てちゃんと戦闘帽子も被っているけど、やっぱ女って分かるじゃないですか。全部トラックに乗せてね強姦しとる訳ですよ。」
新田さんが見ている目の前でソ連兵に連れて行かれた女性達。
近所の家の母親も強姦されました。更に悲劇が起こります。辱めを受けたその母親は子供を道ずれに手榴弾で一家心中をしたのです。
「うちの隣の隣位だったですけど、ボーーンってったから僕らも走って出たらもうブァーって物凄い爆風でしてね、肉片が飛ぶでしょう。その飛んだの(肉片)を犬が咥えるのを僕は目の当たりに見たんですよ。だからその頃食料ないでしょう、コーリャンとか粟とかカンパンとか芋しかないのに、腹がすいているにも関わらず4日間位メシが食えませんでしたね。」
北朝鮮・鎮南補の町で女性達が身を守る為に覚えさせられたのは自ら命を絶つ事。
「どうやって死んだらいいかって、死に方を一生懸命習ったんだよ、・・・昔でいう隣組。首のくくり方、ここの頚動脈の切り方、親によってはその青酸カリを持って、、私なんか持ってましたけど、親は最後に死ぬから、最初子供達が死ぬのを見届けて死ぬっていう事を聞かされてたんで、、」
ある集団自決の記録を見つけました。満州からの引揚者の証言です。
佐世保引揚 援護局 婦人相談所の問診日誌
金品のみならず女性を求めるソ連軍の圧力は日に日に強まりやむなく開拓団の老若男女全員での自決を強行。何も分からない子供達は薬だといって青酸カリを飲まされ、ぐずぐずしている老婆は団長から首を切られ、あたり一面は修羅場と化した。と、その場を脱出した女性は証言しています。
この証言記録が残っていたのは、長崎県の佐世保市。ここには139万人もの人が引き揚げました。
佐世保市でも特殊婦人の相談は行われました。15歳から50歳までの女性達、全員に話を聞いたという記録が残っています。
相談員を務めたのは佐世保友の会の婦人達でした。全国で2万人がいまも活動をする友の会では、70年前の引揚げの事が語り継がれています。
引き揚げてくる女性達に直接向き合った当時の会員達。
その1人、故・西村二三子さんの娘が母親のから引き継いで今も活動しています。
中山興子さん(76歳)。当時、まだ幼かった中山さんは母が毎晩遅くに消毒の匂いをさせて帰ってきた事を憶えています。
中山さんの母親達は相談の内容を日々(問診日誌に)書き残していました。
「お母さんの目の前で銃を突き付けられて娘が犯されるというのはどういう気持ちだと思いますか。そして赤ちゃんを身ごもって、身ごもった体で日本には帰れないって、島々が見えた時に身を投げたっていう、、それをお母様が淡々と語られる。語られた事を書き表すっていう、、
悲しみを胸に引揚げてきた特殊婦人達の記録。
ソ連兵から要求され、未婚の婦女子47名を出しましたが、それでも足りないので第二班として合計80名を出しました。
・16歳の女学生が危うく陵辱を受けるところ、見るに見かねて飛び込み身代わりとなりました。
・強引な要求を遂に拒みきれず、とうとう我が娘を出しました。
・皆の見ている目の前で犯されました。
・63歳になる老婆さえ暴行を受けました。
![]()
敗戦翌年の秋、満州から ました。枌谷勝二さん(79歳)。
笑顔を絶やさない事を信条に生きてきたという枌谷さん。当時暮らしていたのは北朝鮮との国境に近い龍井(リュウセイ)町は、敗戦とほぼ同時にソ連軍に占領されました。
銀行マンだった父とよく気がつく母、二人の姉と弟。枌谷さんは当時9歳でした。ソ連兵による性暴力は占領後すぐに始まりました。
「(占領した)ソ連兵は囚人兵で最低の兵隊だった。『ロスケロスケ』って言いよったけど、女は犯す、本当に惨めなもんだったんですよね。一番上の姉が女学校3年生、姉も坊主にして男装して、、姉は小さい方だったからだから姉は犯されずにすんだんですよね。子供だと思ったんだろうね。
姉は無事でした。しかし枌谷さんの母・とし子さんは夫の目の前でソ連兵に連れて行かれたのです。
「パーンっと空に向けて(撃ち)脅かすんですからね、逆らうことできんかった、、だからね、仕方がないですよ、親父は自分の女房を連れて行かれるからそれはもう死ぬような思いだったでしょう。男連中は(女性が)ポンポンポンポン車に乗せられるのを見とるんですからね。そしてら『イヤー』ちようた。かえって男の方が泣きながら、(敗戦したんだから命までは取られんからと説得した)そりゃ辛かっただろうと思うねぇ。女房を連れて行かれるのはそりゃただ事じゃないねぇ・・」(奥さんが「思い出すのもイヤって言ってたのにとうとう言ったね」と)
« 11回目の「竹島の日」はなんかちょっと違ってる 【みんなのニュース・TSK】 | トップページ | 「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 後半 【NNNドキュメント'16】 »
「慰安婦問題」カテゴリの記事
- 松木国俊氏『#ほんとうは日韓併合が韓国を救った!』。「従軍慰安婦・小中華思想・七奪・竹島」虚構・誤解【#虎8】(2019.05.07)
- 李栄薫氏「『嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 、嘘の文化、嘘の外交』(韓国)必ず再び亡国の悲哀が」(前編)(2019.05.06)
- 「日本への憎悪煽る韓国人・具然喆(グ・ヨンチョル)に軍艦島元住人が激怒」。大高未貴氏の反日ネットワーク解説【#虎8】(2019.04.26)
- ソウル高裁「韓日慰安婦合意文書の非公開、文書公開すれば外交関係に悪影響を及ぼし国益を損ねる恐れ」逆転判決→即控訴【韓国KBS】 (2019.04.18)
- 韓国、昭和天皇襲撃・ #李奉昌「遺物」を文化財に【プライムニュースイブニング】。#3・1独立運動→3・1独立「革命」格上げ画策も(2019.02.14)
「日本テレビ」カテゴリの記事
「戦争関連」カテゴリの記事
- 【米中貿易戦争】中国は『#人民戦争』の構え。抗日戦争の替え歌(貿易戦争)・アメリカ人客へ料金上乗せ・不買運動&レアアース報復【韓国KBS】(2019.05.22)
- 【南京大虐殺】元海軍軍人・深井俊之助(104)さんの証言「支那は略奪・強姦平気でやる、日本人はしないから歓迎されていた」【#虎8】(2018.12.05)
- 「旧日本軍による朝鮮人慰安婦虐殺映像初公開!」とされた映像の真偽(2018.02.28)
- 【ミリタリーバランス2018年版】中国軍の急速な近代化で、アメリカの空の優位性に変化も【シンガポールCNA】、世界の安全保障環境が一変する恐れ(2018.02.15)
- 【西部邁】「東京裁判はアメリカの日本への復讐裁判劇・法律的裁判を装った見せしめ劇」 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』映画評と当時の政治状況 【西部邁・佐高信の学問のすゝめ】(2018.01.22)
「歴史戦」カテゴリの記事
- 松木国俊氏『#ほんとうは日韓併合が韓国を救った!』。「従軍慰安婦・小中華思想・七奪・竹島」虚構・誤解【#虎8】(2019.05.07)
- 李栄薫氏「『嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 、嘘の文化、嘘の外交』(韓国)遂にこの嘘は司法部まで深く浸透、不精で無知で傲慢 #徴用工」(後編)(2019.05.06)
- 「日本への憎悪煽る韓国人・具然喆(グ・ヨンチョル)に軍艦島元住人が激怒」。大高未貴氏の反日ネットワーク解説【#虎8】(2019.04.26)
- 【#軍艦島】具然喆(グ・ヨンチョル)とは何者なのか・・元立命館大学教授 #徐勝 と北朝鮮との繋がり(2019.04.22)
- ソウル高裁「韓日慰安婦合意文書の非公開、文書公開すれば外交関係に悪影響を及ぼし国益を損ねる恐れ」逆転判決→即控訴【韓国KBS】 (2019.04.18)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 前半 【NNNドキュメント'16】:
» ケノーベルからリンクのご案内(2016/02/24 08:54) [ケノーベル エージェント]
佐世保市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]
« 11回目の「竹島の日」はなんかちょっと違ってる 【みんなのニュース・TSK】 | トップページ | 「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 後半 【NNNドキュメント'16】 »
ソ連兵の強姦は、ドイツ等でもおこわれhttp://ryotaroneko.ti-da.net/e7185059.html
米兵の日本国内強姦も多発してますhttp://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-30.html
だから、肉体の門みたいな小説が発表され、フランス書院でも米兵による日本女性陵辱官能小説が販売されてました。ところが、慰安婦強制連行の官能小説は全く発表されてません。あれだけ慰安婦強制連行を騒いでいた沢地久枝、瀬戸内寂聴、なかにし礼といった作家は、慰安婦を題材にした官能小説を発表していないし、綺羅光等官能小説家に資料提出するなど慰安婦強制連行官能小説出版に協力した事もありません。この事態を見れば、慰安婦強制連行がウソだとわかります。この落とし前を沢地久枝、瀬戸内寂聴、なかにし礼等つけるのが一流作家!
投稿: 呆れた | 2016年2月23日 (火) 16時32分
前にアルメニア人虐殺映画「ひばり農園」をご紹介しましたが、アルメニアの大学で日本語教授をされている方のブログを拝見していると、昨年のアルメニア側が言っている虐殺100周年行事の一つに広島市とアルメニア側が交流していて、広島市から送られた灯篭を流す事があったけど日本では、報道されていません。http://armeniajapan.blog54.fc2.com/blog-date-201505.html
でも、トルコ側からするとアルメニア人虐殺イコールヒロシマ、ナガサキの原爆と同じ事のプロパガンダと見るかもしれませんが。
投稿: 呆れた | 2016年2月23日 (火) 23時23分
● 呆れた さん
>ソ連兵の強姦は、ドイツ等でもおこわれhttp://ryotaroneko.ti-da.net/e7185059.html
米兵の日本国内強姦も多発してますhttp://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-30.html
だから、肉体の門みたいな小説が発表され、フランス書院でも米兵による日本女性陵辱官能小説が販売されてました。ところが、慰安婦強制連行の官能小説は全く発表されてません。
ソ連兵の強姦は、政策だったという説もありますね。
世界が、日本の「慰安婦制度」を批判して、ソ連兵・米兵がやらかした強姦はスルーしているは実におかしな話です。
あれだけ慰安婦強制連行を騒いでいた沢地久枝、瀬戸内寂聴、なかにし礼といった作家は、慰安婦を題材にした官能小説を発表していないし、綺羅光等官能小説家に資料提出するなど慰安婦強制連行官能小説出版に協力した事もありません。この事態を見れば、慰安婦強制連行がウソだとわかります。この落とし前を沢地久枝、瀬戸内寂聴、なかにし礼等つけるのが一流作家!
なかにしは「赤い月」でソ連兵の狂気を描いたけど・・・
澤地も瀬戸内もなかにしも一流じゃありません。サヨク活動家です。
投稿: さくらにゃん | 2016年2月24日 (水) 11時31分
米軍の3.11トモダチ作戦は、胡錦濤が軍を押さえられない為に出来た事や、習近平が、一層独裁を強めているらしいhttp://www.youtube.com/watch?v=f3jDXmH9yVM
投稿: 呆れた | 2016年2月24日 (水) 16時30分
再々書き込みますがご了承くだかい。卍のマークに対して歴史的に勉強不足を嘆いて、歴史を勉強して発信する事が大切http://www.youtube.com/watch?v=ViyfZfnbmBI
アメリカ人の方が日本人より歴史を勉強されてます
投稿: 呆れた | 2016年2月24日 (水) 16時53分
●呆れた さん
>米軍の3.11トモダチ作戦は、胡錦濤が軍を押さえられない為に出来た事や、習近平が、一層独裁を強めているらしい
>再々書き込みますがご了承くだかい。卍のマークに対して歴史的に勉強不足を嘆いて、歴史を勉強して発信する事が大切 アメリカ人の方が日本人より歴史を勉強されてます
卍マークは歴史があるし変えるべきではないです。
日本人の多くがその歴史を知らないことが恥ずべきことですね。
投稿: さくらにゃん | 2016年2月24日 (水) 20時14分