「日韓条約」その凄まじい交渉と妥結の鍵を握る、金鍾泌元韓国首相へのインタビュー【NHK】
「日韓条約」・・日本と韓国の14年間に亘る、凄まじい交渉と妥結の鍵を握る人物、
金鍾泌(キム・ジョンピル)元韓国首相が92歳逝去されました。
以前、NHKでやっていた 「日韓条約 知られざる交渉の内幕」という特集を書き起こししたんですが、(韓国政府のネコババが分かりやすく、なかなか良い番組)
その中で、金鍾泌元首相が長い沈黙を破りNHKの取材に応じた、その部分だけ抜き出して紹介します
まずは、聯合ニュースから
「風雲の政治家」金鍾泌元韓国首相が死去 92歳 2018/06/23
・・・ 金元首相は1926年生まれ。ソウル大や陸軍士官学校を卒業した。63年に国会議員に初当選し、計9期務めた。初代韓日議員連盟会長を務めるなど日本と太いパイプがあったことでも知られる。
1961年に夫人の親せきである朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領による軍事クーデターに加担し、韓国政界の前面に登場。同年設立された中央情報部(現・国家情報院)の初代トップに就任した。
62年には大平正芳外相(当時)と韓日請求権協定に向けた交渉を行い、65年の同協定締結への道筋をつけた。
71年には首相に就任し、4年6カ月間「ナンバー2」として政界に君臨した。金大中氏が韓国情報部要員によって東京都内のホテルから拉致された事件が発生した73年には、日本を訪れ、当時の田中角栄首相に謝罪した。・・・
では、ここからNHKの取材に答えた金鍾泌氏の証言を
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】 (再) »より
・・交渉妥結の鍵を握る人物・韓国のキム・ジョンピル元首相が、長い沈黙を破り、NHKの取材に応じました。
キム・ジョンピル元首相「生きる為にはそうしなきゃならない。その時には、まず日本と手を結んで日本の協力を得ながら出る方法しかない。だとすると日本と国交正常化を図る、、」(流暢な日本語)
2005年1月、韓国で日韓条約についてのニュースが人々の関心を集めました。・・
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その4 【NHK】 (再)» より
・・パク大統領は日本との国交回復に積極的でした。韓国経済を立て直すためには日本からの資金と技術が欠かせないと考えていたからです。
この時、パク大統領が会談妥結に向けて送り込んだのが、当時の№2キム・ジョンピル中央情報部長でした。
キム・ジョンピルさんがNHKの取材に答えました。この40年間、日韓会談の内幕について語る事はほとんどありませんでした。戦前、日本で教育を受けたキム・ジョンピルさんは自らの思いを直接伝えたいと日本語で語りました。
キム・ジョンピル氏「・・・いや、毎年来ますよ。今年の正月はソウルが寒かったから。
お互いに言葉尻を捉まえては、それでなんか言い合って会談を中止したり、まぁ時間が経てばまた集まって話をするような振りをするけど、内容、何にも無い。こういう事を繰り返しながら10年を費やしたんですよね。
だからいざ会談を纏める為には誰か犠牲的な事をして、門を閉ざされているその門を開いてやらなければいけない。これが朴大統領の考えであり、そして私に『君、我々は革命もした。その気迫で人が出来ない事をやろうじゃないか。韓国の近代化の為には、工業化の為には、これは必ず打ち開かなきゃならない道なんだから、どうだ、やるか』『はい、やりましょう』それで始めたんです。」
1962年、第6次会談は"請求権"をめぐって膠着状態が続いていました。前回の第5次会談で、日本が韓国になんらかのカネを支払う事については大筋の合意が得られていました。残された課題はその"額"と支払いの"名目"でした。
韓国側は日本に対する"請求権"として7億ドルを要求していました。
それに対する日本側の回答は、7千万ドル。両者の隔たりは明らかでした。・・
(中略)
・・日韓会談の決着は両国首脳による政治折衝に持ち込まれる事になりました。そこで登場したのがキム・ジョンピルさんでした。
日本側を代表したのは後の首相・大平正芳外務大臣でした。この時、キム・ジョンピルさんはパク大統領からの特命をおびていました。
キム・ジョンピル氏「まっ韓国としては、当時100億ドル貰っても少ないと言うでしょうねぇ。それで私はお尋ねしたんですよ、『大統領はどれ位をお考えですか?』と。『8億ドル位貰って来い』私はちょっとビックリしました。
当時日本は、私が当時知っておった日本の外貨保有高は14億ドル位。それは数字の上で。実質的にはその半分位持っておったらしいですね。難しいでしょう。しかし、やはり、、」
会談は冒頭から核心に迫る議論が交わされました。
キム・ジョンピル氏「日本はどの位支払う事が出来るのか?最終的な数字を言ってくれ。」
大平氏「大体、3億ドルである。」
キム・ジョンピル氏「それは韓国側としては到底受け入れられない数字だ。どのような事があっても6億ドルは超えなければならない。」
キム・ジョンピル氏「もう1つの問題は"名目"だ。日本側としては国民と国会向けに"独立祝賀金"あるいは"経済援助"などと表現出来ればよいが。」
キム・ジョンピル氏「日本の事情はそうだろうが、我々は"請求権"という名目であっても逆賊扱いされる状況なのだ。」
大平氏氏「しかし、我々が"請求権"という名目を使用すれば7000万ドルを支払うのも難しい。」
キム・ジョンピル氏「この問題は難しい。この話は止めてちょっと棚上げしよう。」
キム・ジョンピル氏(現在)「それで暫く経って私はこういう事を言った。『それも今やっているのを見ると無理でしょうね』どういう事かと。 『今、会談始めて2時間以上経っているのにコーヒー一杯くれないケチな国だから、(笑)それはもう出せないでしょう』 と僕はね、ちょっと皮肉ったらね、これはシマッタ!というので、コーヒーを持ってこさせたりしましたねぇ。だから会談が始まって2時間半位経った時に、コーヒー一杯貰いましたよ。
それからちょっと弾んで、『無償もちょっと増やし、出しましょうと言ってください』と。だから無償はまぁ2億ドル・有償2億位上がったんですよ。それで私に言えというから、『じゃあ言いましょう。これはもう最終的な韓国側の要求。そういうように受け取ってくれ。無償3億・有償2億そして輸出金あるいは民間借款協力、こういう性質のものを1億+α。』 とにかく私はもう8億ドルに作ろうというんで、そういう事をゆうたんです。
そしたら椅子から飛び上がりましたよ。(大平さんが?) おっ、『とんでもない』と。『私はそういう事出来ません』と。『いやできますよ。』、、」
この時の会談について一枚のメモが残されています。キム・大平メモと呼ばれるこのメモには日本が支払う合計金額が書き込まれています。
無償援助3億ドル・有償援助2億ドル。
しかしこのメモには合意した金額だけが書かれ、"請求権"なのか"経済協力"なのか交渉の焦点だった支払いの名目については一切触れられていませんでした。
キム・ジョンピル氏「『私は国民を代理して請求権と言いますよ』と。そして『国会に報告も、国会を通して国民に報告も、請求権をこういう風に合意を導出したこう言うはずです。だったら都合の良いように国会で国民に説明されたらいいですよ。どうせ請求権で始まった事ですから。』こう言ったんですね。」・・
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その5 【NHK】 (再) »より
キム氏「パク大統領は日本から相当なカネを受け取って、それを被害者個人の請求権を充てるよりは国家復興に充てようと考えていました。個人の被害の解決に充ててしまうと経済再建の方針と合致しないと考えていたのです。」(元駐日大使)
キム・ジョンピル「これどうしようも無かったんですよ、ただ、朴大統領ははっきり言われましたよ『少し国が余裕が出来たらこういう人達の面倒をみよう。いちいち日本に(が)手を差し伸べなくても良い様な時に面倒をみるようにしよう』こういう考えだったんですね。」
日本から韓国に支払う5億ドル。残された課題はその"名目"でした。1965年5月、調印の一ヶ月前になっても支払いの名目について両国の鬩ぎ合いが続いていました。
日本「日本側としてはある種の政治的協力という意味で提供するのであって、一方的な義務で提供すると思われては困る」
韓国「全く義務がないというのは話にならない。問題の始まりは"請求権"であり、韓国が困っているから助けてくれと言ったわけではない。韓国の国民感情はあくまで"請求権"だ。万が一、この表現が変わってしまうと重大な問題になるだろう」
日本「日本側としては主として"経済協力"という捉え方だ。」
議論は平行線を辿り、日本側の提案により5分間の休憩が取られました。休憩の後、日本側がこの問題の先送りを提案しました。
日本「この問題はあまり触れないでおく事にして、とにかく我々としては早く協定文を作り出すのが重要ではないだろうか。」
松永氏「"請求権"という事はですねぇ、やっぱりその損害に対する賠償請求というのが基本なんですね。だからそういう請求権は認めないというのが日本の基本的立場でしたからねぇ、
それに替えてという事になるわけですが、あのー、"請求権請求権"と言って"請求権"が一人歩きするという事はですね、避けるべきであるというのは非常に日本側は強い考え方だったと思いますねぇ。」(当時の外務省条約課長)
キム氏「我々は"請求権"という文言を入れたい。しかし日本はそれを受け入れられないという立場でした。結局この問題はただ無償いくら・有償いくらという表現に留まりました。それがどのような性格のカネなのかは両国がおのおの判断するという風な決着をつけるしかありませんでした。」
結局、名称は"請求権及び経済協力" 両国の意向を並列した形で決着する事になりました。
日韓条約締結の直後から、韓国は日本からの総額5億ドルに及ぶ資金と技術協力を得て、年10%の成長を達成。
韓国経済は飛躍的に発展しました。それはソウルを横切る大河・ハンガンになぞられて、"ハンガンの奇跡"と呼ばれています。
反面、韓国が日本から得た資金で行うとされていた個人補償は十分には為されませんでした。
条約締結から6年、韓国政府は個人補償の受付を始めました。しかし、告知が徹底せず、手続きも煩雑で申告しない人も大勢いました。その総額は92億ウォン。日本から得た無償資金3億ドルの5.4%に過ぎませんでした。
最近になって、長い間日本の企業を訴え続けてきた被害者の人達の新しい動きが起きています。ヨ・ウンテクさんは日本の企業に未払い賃金の返還を求め、一昨年最高裁判所で棄却されています。
ヨさんは最近、戦後補償問題推進協議会という団体を頻繁に訪れています。ここは2000年に設立された新しい団体です。植民地支配の被害者の裁判の支援や実態調査などを行っています。
2005年1月の文書公開で個人補償の請求権は韓国にある事が分かりました。ヨさん達はそれを受けて新たに計画している事があります。韓国の企業に対する抗議です。
(中略)
今、韓国では日韓条約に対する見直しの機運が高まっています。韓国政府は真相糾明委員会の調査を開始し、日韓条約に関する残りの文書も8月15日までに公開するとしています。
60年間放置されてきた植民地被害者への救済の動きはまだ始まったばかりです。
1965年6月22日、日韓条約が調印されました。
植民地支配のきっかけとなった韓国併合条約などについては、韓国側にとっては最初から無効。日本側にとっては今は無効。
どちらとも解釈できる"もはや無効"という表現になりました。
個人補償については、両国及びその国民の間の請求権に関する問題は"完全かつ最終的に解決された"と記されました。
調印後、日韓両国は国民に対し、それぞれ異なる説明をしました。
日本政府は5億ドルは韓国独立の祝い金であり、経済協力という意味で支払ったと説明しました。
「韓国の経済建設に役立つために、日本がこれを享由するものであるという趣旨でございます。」(日本の国会にて)
一方、韓国では条約反対の動きが国会でも高まっていました。政府は日本からの資金は謝罪と償いの意味を込め、主に請求権として受け取ったと説明しました。
それでも
植民地政策への清算が不十分だという声は収まらず、与党は強行採決を行い、条約を批准しました。
キム・ジョンピル氏「あの時はあの時で最善を尽くした結果ですよ。何の事でもそうですよ。いくら良くやってもその後からいくらでもいくらでも粗探しが出来るから。
結果は正常化に繋がった。そしてその正常化は韓国を、極貧国から今日世界第11位のそういう経済国に仕上げた。良いじゃないかと。これからだ!と私はそう思います。そしてみんなそう思って頂きたい。」
柳谷氏「申し上げたいのはね、やっぱり韓国側の方がより大変だったと思いますよ。
本当にさっきも言いましたように、もう『自分達は命がけでやってんだと。これまぁ一見日本に歩み寄って妥結する、軟弱だとか弱腰だとか国内からは酷く言われるけれども、こうやる事がね、やっぱり長期的に見て韓国の国民国家の利益だと信じているからやってるんで。今は非常に不評でありこれから大変なまぁデモにあったりね、攻撃に晒されるけど、まぁやっぱり自分達は信念を持ってやってるん』という事をいながら、まぁ帰国して行かれたのを憶えていますが、、」
オ氏「対日交渉は外科手術と同じなんです。場合によっては後遺症が出る事もあるし、再手術が必要な事だってあるんです。ですから
交渉妥結で全てが終わるのではなく、その後も管理をしっかりしなければならないのです。」(元駐日大使)
14年に亘る交渉を経て、日本と韓国は新たな関係を築き上げていく事になりました。
しかし、
植民地支配をめぐる歴史認識の隔たりは大きく、被害者への救済も進んできませんでした。
条約締結から40年が経った今も二つの国の間には重い課題が横たわっています。
以上
2005年、韓国側が「日韓条約」を初めて公開して、韓国政府が日本の経済援助金をネコババしていたのが明らかになったのに・・
韓国側で、「日韓条約」見直しの動きが繰り返し出てくる状況です(呆)
で、これだけ苦労して出した日本の援助金を「はした金」のように
テレビで言っちゃうアホな大学教授もいるし
«「日本からの経済援助金は"はした金"」のように言った金慶珠氏(・・;) 【そこまで言って委員会】» 2015年6月22日
これらの動きにしっかり反論する為、
あと日韓条約で完全に解決済みで、全ての問題は全部韓国国内問題だという事を再確認する為、
今一度、日本人は「日韓条約」の基本をおさらいした方が良いと思います
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】 (再)»
2005年1月17日、韓国政府は、これまで極秘扱いとされてきた日韓条約締結に至る会談の会議録や政府の内部文書の一部を公開。
その中では植民地支配の被害者に対する補償は、韓国政府の手によって行うという事が明記されていた。
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その2 【NHK】 (再)»
久保田発言をめぐる日韓の攻防。新聞もマトモな時代・・・
韓国の独立記念館の反日捏造展示物に思わず口を押さえる子供達・・スゴイ洗脳教育。
徴兵・徴用された韓国人の証言・李ラインの話など。
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その3 【NHK】 (再)»
たくさんの韓国人の各証言。でもかなりおかしい。元慰安婦というイ・オクソンさんの証言も。
« 「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その4 【NHK】 (再)»
被害者個人に支払いたいとする日本側と、韓国側は名簿がないので国が一括して受け取りたいと主張し対立したまま膠着する日韓会談の様子。
"名簿"(個人資料)は結局残っていて、日本側の物は詳細に記入してあった。
朝鮮人曰く、「強制連行という酷い仕打ちをされた」ハズなのに、氏名・生年月日・本籍地・職種・入所年・退所年・退所理由・未払いになっている賃金・厚生年金・・・
あと「会社で貯金をもしてくれていた」「怪我を理由に帰国した」という被徴用者の証言もあるし、結構厚遇されていた。
« 「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その5 【NHK】 (再)»
このシリーズ最後の記事は、14年に亘る交渉を経て1965年6月22日、日韓条約が調印されるまでの最終戦と、個人補償をめぐって日本企業を訴え続けてきた人達が、
2005年の文書公開で個人補償の請求権は韓国にある事が分かり、ポスコに抗議に至る場面などなど。
いま、北朝鮮に「賠償を!」なぞと言う人がいるけど、
韓国への経済援助金でさえ決定するのに、これだけの年月と努力の積み重ねがあったわけで、軽々しく言うな!と。
で、「久保田発言」のような正論も今一度ぶつけるべきだと思います。
合掌
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今晩は。
日韓条約だけでなく日韓地位協定も改めて掘り返すべきかも。
例えば、
『【日韓地位協定】第二条
1 (居住については)この協定の効力発生の日から二十五年を経過するまでは協議を行なうことに同意する。』
と言う感じで実は在日追放を大々的に行える状態でもあるらしいので。
投稿: unknown_protcol | 2018年6月24日 (日) 22時04分
● unknown_protcol さん
こんにちは。
>日韓条約だけでなく日韓地位協定も改めて掘り返すべきかも。
例えば、
>>『【日韓地位協定】第二条
1 (居住については)この協定の効力発生の日から二十五年を経過するまでは協議を行なうことに同意する。』
>と言う感じで実は在日追放を大々的に行える状態でもあるらしいので。
という事は、期限切れ?!
どちらにしても、お互いの為にそろそろ第二次「帰還事業」を行うべきかと。
投稿: さくらにゃん | 2018年6月25日 (月) 14時24分