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2018年6月30日 (土)

ソウル・龍山の米軍基地跡「朝鮮駐留日本軍の幕舍」は、類例のない歴史文化遺産だった!【韓国KBS】

NHK-BS【ワールドニュースアジア】韓国KBSで、

ソウル・龍山の米軍基地の跡は、朝鮮時代から外国の軍隊が駐留し悲しい歴史」だと報道していたので記録しましたdownwardleft(青字はナレーション)

(龍山(ヨンサン)にあった在韓米軍司令部の基地、平沢(ピョンテク)移転が完了し、昨日73年の歴史に幕引き)

その外国軍隊はモンゴル軍、日本軍、米軍。

その歴史的建造物が凄すぎて扱いに苦慮しているようです。

ハンギョレの企画で、その建造物をしっかり記してある記事があったんですが、消されても良いように、写真含めて一応それも記録しておきます

P1340896

アナソウル・龍山(ヨンサン)の米軍基地の跡は、danger鮮時代から外国の軍隊が駐留して悲しい歴史を持っています。米軍基地の後は、今後ソウル市民の為の場所となります。」

P1340897 P1340898

アメリカ軍が使用したヨンサン基地内の兵舎はdangerその昔日本軍の将校の宿舎でした。 

また他の建物にはdanger日本軍を象徴するマーク残っています。

P1340900 P1340901


P1340902 P1340903

1945年韓国の解放以降、ソウルに駐留したアメリカ軍は、dangerそれまで日本軍が使用したヨンサンの司令部と資産を没収し、アメリカ軍のヨンサン時代が始まりました。

P1340904

ヨンサン区の住民「昔、日本軍が使っていた兵舎をアメリカ軍が使うようになりました。」

ヨンサン基地は数十年間、朝鮮半島と北東アジアの安保維持に貢献しましたが、犯罪や環境汚染等の為、移転を要求する声もありました。 

今後はエコパークとして生まれ変わる予定です。

P1340909

ソウル市民「すぐ近くに国立中央博物館もあるので、そこと上手く連携して韓国の情緒を生かした場所にしてほしいと思います。」

P1340910

当初2027年までに敷地をエコパークにする予定でしたが、多少遅れるものと予想されます。 

公園建設計画をめぐって 自治体と中央政府、市民グループ、アメリカ政府間で協議すべき課題が数多く残っています

P1340911 P1340912

danger歴史の痕跡が残っている場所である為、何を保存するかという事も重要な問題です。73年間アメリカ軍の基地だったものを市民のものとする為、時間をかけて徹底した準備が必要だと思われます

何が「悲しい歴史」なのかな?と思うわけですが、その龍山基地の歴史を見れば・・納得!右

13世紀、高麗時代の末期に朝鮮半島に侵入したモンゴルは龍山を兵站基地として利用したといわれる。文禄の役で、日本軍は元暁路と青坡洞一帯に陣取ったともいわれる。 [1] 1882年明治15年)、壬午事変日本軍とともに介入した清国が龍山に駐留した。以後、danger龍山には常に外国軍が駐留することになる。

1904年(明治37年)、danger日露戦争の際に日本軍は龍山の土地およそ300万坪を買い上げ、兵営を置いた日本統治時代、龍山基地は大日本帝国陸軍駐屯地として使われ、朝鮮軍司令部などが置かれた。1945年昭和20年)の太平洋戦争敗戦に伴う日本軍の撤退後、米軍第7師団のおよそ1万5千人が日本軍の兵営を引き継いだ1949年(昭和24年)に米軍は一時撤収したが、朝鮮戦争休戦後1953年(昭和28年)、再び米軍が駐留。その後、現在の在韓米軍司令部にまで発展した。

龍山基地移転[編集]

2004年7月、米韓両国はワシントン国防総省で開いた協議の結果、龍山基地を移転することで最終合意に至った。龍山基地と同基地の米軍将兵およそ8千人は、2008年までにソウルの80キロ南方の平沢市に新しく拡張された基地(ハンフリーズ基地)へ移転する。その後移転が延期され[2] [3]2016年に移転する予定になっている[4]。 2017年7月12日、在韓米8軍司令部が平沢にて開館式を開き、本格的な在韓米軍基地の移転作業を開始した。2018年末までの移転完了を予定している [5]2018年6月29日、在韓米軍司令部の平沢移転が完了し、73年の歴史に幕を下ろした。残る韓米連合軍司令部については、同じ竜山にある国防部庁舎そばの建物への年内移転が予定されている[6]。ソウル市は、跡地を公園にする計画を明らかにしている。ただし完全移転後も、光化門の在韓米国大使館の移転予定地等、一部敷地は今後もアメリカが継続して使用する予定となっている。

ここから、ハンギョレの企画の記事。

日本統治の様子が貴重。でも少し長いので太字だけ読めば良いかと右

[創刊企画] 龍山(ヨンサン)基地遺跡の再発見 2013-05-19

日本軍 幕舍・バンカー・衛戍監獄…100年前の姿 見るように
返還基地現場に行ってみると

1
ソウル龍山(ヨンサン)の米8軍基地内、旧日本軍将校宿舎。 解放後、米ソ共同委員会ソ連軍宿舎として使われ、現在は駐韓米軍合同軍事業務団(JUSMAGK)の事務室だ。

 2016年返還を控えてソウル龍山(ヨンサン)の駐韓米軍基地の将来活用を巡って議論が始まった。 100年以上にわたり外勢の軍隊が駐留し、禁断の土地として縛られていた龍山基地敷地には米・日の軍事施設として建てられたdanger近代建築物と自然環境が交わった世界的な歴史自然遺産として評価される。 <ハンギョレ>は創刊25周年企画として、2016年に市民の手に戻る龍山基地内の見慣れない歴史自然遺産の生き生きした現場を集中取材した。 国土部、ソウル市など当局の保存活用計画と、これを巡る種々の争点、専門家・市民の意見もあわせて紹介する。

 2016年に返還され公園に造成される予定のソウル龍山米軍基地。 日帝強制占領期間に朝鮮駐留日本軍の幕舍と解放後こちらを占有した米軍施設が占めているところだ。

 去る10日朝、基地内の近代遺跡を調べに出かけた。 そのために1927年に朝鮮総督府が出した<龍山市街図>を準備した。 米国国防部で作った‘龍山ガリソン’地図では昔の建物の分布が分からないため、龍山朝鮮駐屯軍兵営が詳細に出ているこの地図は大切な資料だ。 1979年から‘駐韓米軍の口’として仕事をしてきたキム・ヨンギュ駐韓米軍広報官が遺跡を案内した。

建築物は比較的よく原形保存
公園造成後にも保護価値 高い

病囚監獄は病院として使われ
日本軍忠魂塔は米軍忠魂塔として

朝鮮時代 祈雨祭を行なった祭壇には
米軍人らがバーベキューを焼いて食べた痕跡

■‘龍山の阿房宮(華麗な豪邸)’とバンカー…

 龍山基地は梨泰院(イテウォン)路を境界として北側のメインポストとキャンプ コイナー、南側のサウスポストに区分される。 メインポストは主に米軍勤務地、サウスポストは住居・近隣施設だ。 基地内の建物は全部で1245棟。 この内、米軍が歴史性のある建物として分類したのは174棟だ。 

 1927年当時の日本軍編成を見れば龍山に20師団、咸鏡北道(ハムギョンブクド)羅南(ナナム)に19師団が駐留していた。 20師団は78,79連隊から構成されていた。 龍山には朝鮮駐屯軍司令部を兼ねて20師団と師団司令部の他に、総督官邸、軍司令部と官邸、野砲兵、騎馬兵、工兵隊、陸軍倉庫、衛戍病院、衛戍監獄などがあった。 

 一番最初に立ち寄ったところはサウスポスト西南端の朝鮮駐屯軍司令部。 1906~1913年に1次建設された。龍山基地地図を見れば軍司令部は龍山駅広場から漢江通(漢江路(ハンガンノ))へ出て、南西に直進すれば直ぐに至ることになっている。 現在残っっているのは二つのコンクリート バンカーの内で小さい方だ。 韓国戦争以前には国軍本部として使われた。 

 バンカー後方の丘陵に地下に通じる門がある。 コンクリートを注入し封じ込め鉄の門を付けてある。 下方のドーム型通路を通じて総督官邸まで行き来できたという。 danger初期には朝鮮総督が軍司令官を兼ねていた現実をそのまま反映する構造だ。

 丘を間に置いて司令部と背中合わせに建てられた総督官邸は、danger当時朝鮮駐箚軍司令官だった長谷川好道が露日戦争後に軍事余剰金50万ウォンを投じて作った超豪華な建物だった。 米10万袋に相当する金で建てたこの建物は‘龍山阿房宮’と呼ばれた。 当時一ヶ月の電気料金だけで400ウォンがかかるほどだったので長谷川はもちろん後任者の誰も入居しなかった。 韓国戦争勃発の数日前に火災で焼失し、その場にアミコミュニティ病院が立っている。 展望が良く周辺には米軍将軍宿舎が用意されている。

2日本軍砲兵隊 記念造形物

 ■白凡金九の暗殺犯が閉じ込められた衛戍監獄の北側に移動するには‘8軍路’を通らなければならない。 基地中央を南北に貫くこの道路は、1908年に作られ漢江通と並んで北に進み、南大門(ナムデムン 崇礼門(スンネムン))に達する。 建設当時‘すべての基地内道路は砲車が通れるようにせよ’という寺内正毅総督の指示により広く作られたという。 午前8時半に北への道は出勤・通学車両で大変な混雑になった。

 旧軍司令官官邸があった所。 今は将校宿舎である新しい建物の前に止まった。 返還後、米軍連絡事務所として使われる予定のドラゴンヒル ロッジ(DHL)がよく見下ろせる。 ここは一時、米8軍クラブとして使われたが、韓国歌手がなんとかして立ってみようとした‘夢の舞台’であった。 梨泰院(イテウォン)、弘大(ホンデ)前など部隊外に慰楽施設ができた後にはお客さんが来なくなり将校宿舎に変わったという説明だ。 道を渡れば20師団司令部と師団長官邸があったが、今は師団長官邸だけが残っており、他の用途に改造されて使われている。 

 次に行く所は1909年に建てられた旧衛戍監獄跡。 屯地山(トゥンジサン)をぐるぐる回って移動しなければならない。 盆地のように深くえぐられたところに位置しており、何が起きても分からないと言う。 大人の背丈の2倍はある赤レンガの塀が取り巻き、外から支持台(バットレス)を頑丈に積み上げてある。 中央の獄舎は韓国戦争の時になくなり、現在は片方の隅に病監1棟と付属建物1棟が残っている。 病監は患者数人を受け入れた監獄で、他所とは異なりペチカの煙突が建物を貫いている。 金九を暗殺した安斗煕が逮捕され収監されたという記録がある。 現在は医務隊が使っていて、軍用幕舎の象徴である半円形の蒲鉾建物1棟も残っている。 塀には韓国戦争当時の銃口があちこちに出ている。 ところでこの大量のレンガはどこで作られたのだろうか。 1927年の地図を見れば、漢江(ハンガン)辺の練兵場(現、国立中央博物館)と向かい合う山裾に煉瓦製作所という名が出ているが、1906年にそちらに民間業者の大規模レンガ工場を建設し基地内のすべての建物はそこで作った赤レンガを用いたという。

 基地内で最も展望の良い安山大神宮跡を経て屯地山(トゥンジサン)を降りてくれば、山のふもとのあちこちに旧下士官宿舎がぽつりぽつりと見える。 今は家族のいる米軍人と軍務員が使っている。 60~70年代、国内映画の撮影場所だったという。 米国現地で全てはできない撮影を、米国の雰囲気が出るここで終えたという言い伝えだ。 多くの宿舎は表面をセメントで塗り、玄関を付けるなど外見は変わったが構造は昔のままだ。

3龍山米8軍基地内の8軍路。 1908年日本の寺内総督の指示で作られた。

■日本軍忠魂塔が米軍忠魂塔に

 梨泰院(イテウォン)路の上を横切る陸橋を越えればメインポスト。一番最初に韓国戦戦没米軍忠魂塔に出会う。 円形の7段基壇を石柱7本が半円形に囲んだ真ん中に五角形の塔身があり、その上に追悼碑が立っている。 元来は78連隊練兵場にあったが、そこに1978年に連合司令部の建物を作ったことにより移ってきた。 塔は元々日本軍犠牲者のための忠魂碑。龍山に駐留していた20師団が1931年満州事変、1937年中日戦争、1941年太平洋戦争に出動することになるが、この戦争で死んだ日本軍犠牲者を賛えるために作った解放後に駐留した米軍が碑文だけを変えて米軍忠魂塔にリサイクルしたものだ。 その横には韓国戦以後の戦死者追悼碑が別に立っている。

 メインポストは日本軍歩兵78連隊と79連隊の兵営だった。 現在78連隊の跡には2階建ての軍幕舎5棟と2棟の付属建物、79連隊には軍幕舎1棟が残っている。 原形をほとんどそのまま維持しており米軍事務棟として使われている。 この建物は日帝強制占領期間に韓国人を徴用した日本の建設会社 大林組が築造したと言う。 出入り口2階の破風(傾斜した屋根面と壁の間の三角形の空間)には星が彫られており軍幕舎だったことがわかる。 79連隊側に残ったテントは先に建てられた78連隊建物とは異なり、ペチカの煙突を細かく外に出し、それが建物支持台を兼ねている。 日本軍が韓国の気候に適応しようとした証拠と読まれる。

4米軍事務室に改造された第78連隊幕舎が旧日本軍用施設であることを見せる破風の星

 ■旧ソ連軍代表が宿舎としていた将校宿舎78連隊練兵場跡にある韓米連合軍司令部建物を過ぎて蔓草川(マンチョチョン)を渡れば旧日本軍将校宿舎が現われる。 韓国戦争で2棟の内1棟が生き残った。 解放空間では米ソ共同委員会の当時ソ連軍代表の宿舎として使われ、その後は米軍部隊が駐留し、韓国戦争直前には軍事顧問団が使った。 化粧壁土で外装処理しただけで原形をそっくり保管している。 後方の衛戍病院建物は完全になくなっている。

 南山(ナムサン)に源を発し漢江(ハンガン)に流れ込む蔓草川は連隊兵営を作る過程で直線化された。 蔓草川は78,79連隊の正門前を通るが、一種の掘の役割も果たしたと伝えられる。 川辺道路は兵営に出入りする主道路であった。 兵士たちが龍山駅に移動する時、入隊した息子の面会に来た両親たちが行き来した道だ。 部隊外の生活汚廃水が流れ込み臭いが激しかったが2年前に下水管路を別に設け臭いをなくしたという。 続けて戦争記念館の後方を見ながら蔓草川の沿って進めば、1909年に作られた旧兵器廠が出てくる。 弾薬と兵器を保管した倉庫だ。 衛戍監獄の塀のように外側にバットレスを当てて丈夫に作られている。

 最後に立ち寄ったところは旧野砲兵営だったキャンプ コイナー。 平たい場所なので日本軍砲兵隊が駐留したという。 現在残っている建物は殆どないが、砲兵隊を象徴する記念塔が部隊の入口付近にある。 砲弾形に整形された赤い花こう岩の柱に‘一誠貫之’と刻まれている。 一発の正照準で貫くという意味で、砲兵精神を象徴している。 旧衛兵所そばの丘の上には花こう岩の祭壇と石垣の一部が見える。 朝鮮時代に祈雨祭を行なった南檀遺跡と推定される。 米軍がバーベキューを焼いたようで真っ黒な煤煙が付着している。

 比較的状態が良い建物と遺跡を中心に見て回ったが、生き残った他の建物もよく保存されている方だ。 特異なのは、大地を削って無理に上げた高い建物がなく、自然の地勢がそのまま生きていて、地勢に沿って建物が建てられている姿がそのまま見えるということだった。 龍山基地は保存し活用する価値のある歴史・文化的資源を相当数抱いていた

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龍山基地の120年、日本軍が退くなり米軍が…

5龍山基地内に残っている朝鮮時代に祈雨祭を行なった南檀跡

龍山基地は韓国近現代史の悲劇をそのまま大事に保管している。

 龍山は1884年日清戦争の時、日本軍の宿営地になり日本軍の拠点として浮上した。 特に1904年露日戦争当時、日本が鉄道監部を通じて現在の龍山駅広場に3940坪の建物を作り庁舎として活用しながら、龍山は日本の韓半島鉄道経営の中心地になった。 1905年龍山基地一帯の300万坪を収用した後、一部は鉄道用地として分割し、117万9800坪を軍用地として確定した。 以後、日本は1913年まで龍山を咸鏡道(ハムギョンド)羅南(ナナム)と共に日本軍兵営にして使った。 日本軍基地を囲み貫く主要道路も完成された。 今日の漢江(ハンガン)大橋から龍山路、南営洞(ナミョンドン)、葛月洞(カルォルドン)を経てソウル駅に至る直線道路である漢江(漢江路(ハンガンノ))がこの時に敷かれ、厚岩洞(フアムドン)から龍山高等学校横を通り、南側の漢江辺練兵場に至る軍事道路が1908年に完成された。

 1927年に朝鮮総督府が作成した<龍山市街図>を見れば、龍山基地内には梨泰院(イテウォン)路を境界として北側に第78連隊、第79連隊など歩兵2個連隊と野砲兵が駐留し、南側には師団司令部と師団長官邸、軍司令部と司令官官邸、朝鮮総督官邸の他に将校と下士官宿舎が集中的に配置された。

 日本は1914年に行政区域を改編し、当時は高陽郡(コヤングン)に属していた龍山をソウルに含ませた。 以後、太平洋戦争開戦直前まで龍山基地内部隊の基本編成と空間配置を変えなかった。 1945年龍山基地の朝鮮軍司令部は第17方面軍司令部と朝鮮軍管区司令部に改編された。

 8月15日光復(解放)以後、龍山から日本軍が撤退し米24軍団司令部が入った。 以後、米軍政が終了し駐韓米軍は1949年軍事顧問団500人だけを残して撤収した。 だが、1950年に韓国戦争が勃発し米8軍が韓国に上陸し、1953年に龍山基地に移ってきた。 1957年日本、東京にあった国連軍司令部がソウルに移ってきて駐韓米軍司令部も新設された。 駐韓米軍司令官を兼職した米8軍司令官は1978年に創設された韓米連合司令部司令官も兼ねることになった。

 現在の龍山米軍基地には、練兵場を間に置いて韓米連合軍司令部と駐韓米軍司令部を中心に小・中・高校、大学分校、輸送団、121病院、アパートなどの住居施設と米軍放送、慰楽施設が入っている。

1927年龍山市街図には…日帝の‘永久駐留計画’がそのままに 2013-05-17

                     
創刊企画l 龍山(ヨンサン)基地遺跡の再発見
6_2龍山(ヨンサン)朝鮮駐屯軍兵営図(1927年)
 

現在残っている龍山(ヨンサン)基地内日本軍兵営施設は、1905年乙巳保護条約直後に樹立された‘永久兵営計画’により1906~1913年8年にかけて築造された。 日本軍は露日戦争の後、朝鮮および中国侵略のために歩兵部隊を強化し始め、1920年頃には安定した編成が完成された。 龍山基地には13師団、6師団、2師団、8師団、9師団などの地域師団が交代で駐留し、1915年に20師団が常駐体制として編成され1942年太平洋戦争に出動するまで留まった。

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①龍山基地北側メインポストにある78連隊本部の古の姿。朝鮮駐屯20師団の主力だった。②歩兵78連隊正門。現在も施設の一部が残っている。③龍山の総督官邸、二代朝鮮総督長谷川(好道)が建てた豪華な洋式建築で '龍山阿房宮' と呼ばれた。
 

 1927年朝鮮総督府で製作した‘龍山(ヨンサン)市街図’(ソウル歴史博物館提供)を見れば、当時龍山朝鮮駐屯軍の兵営施設と編成が分かる。 それだけでなく軍司令部、陸軍倉庫、歩兵連隊兵営が龍山駅と緊密に造成された点、野砲兵営の西側に人為的に日本の民間施設が造成された点等から推し量って兵営の全方向的性格を察することができる。

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④1904年露日戦争時に設置された朝鮮駐箚軍司令部。乙巳勒約締結を強圧した主役だった。韓日併合後、朝鮮軍司令部になった。⑤1926年1月10日 79連隊練兵場で開かれた入隊式の光景⑥基地南側 サウスポスト入り口にあった朝鮮駐箚軍司令官官邸。朝鮮強占のための軍事戦略などを謀議したところとも言う。
11
⑦78連隊より後に作られた79連隊の兵舎。ペチカの煙突が見える。⑧基地北側の兵器倉庫⑨監獄

禁断の土地 一世紀…その中に‘近代建築遺産’130余棟がある:2013-05-17                                                      

近代建築物と緑地が交わったソウル龍山(ヨンサン)駐韓米軍基地敷地
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都心の中であたかも緑色の島のように見える。 2016年の返還を控えて龍山(ヨンサン)基地敷地の将来活用を巡る議論が活発になされている。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
 

創刊企画 龍山(ヨンサン)基地遺跡の再発見

龍山(ヨンサン)米軍基地内 日帝時の兵営施設そのまま保存
"近代建築物の宝庫…類例のない歴史文化遺産"
 

 2016年に返還されるソウル龍山(ヨンサン)米軍基地内にdanger1906~1945年にかけて日帝が作った朝鮮駐屯軍兵営施設が130棟以上そっくり残っていることが確認された。 これと関連してパク・ウォンスン ソウル市長は16日「(国土交通部が推進中の)龍山(ヨンサン)基地跡公園造成はソウルの100年を決定することになる選択」とし、市民の意見を反映して基地跡全体を生態公園として長期造成する‘龍山公園造成特別法’改正を推進すると明らかにした。

 <ハンギョレ>が最近ユ・スンヒ民主党議員を通じて入手した<軍駐屯地内近代建築・施設一斉調査委託研究報告書>を見れば、龍山基地内には計1245棟の建物があるが、このうち132棟が1906年以後に日帝強制占領期間に築造され保存されていると発表された。 この報告書は文化財庁の委託を受けて建築史研究者であるキム・ジョンホン培材(ベジェ)大教授チームが2011年7~8月に国内で初めて実施した現場調査結果を基に作成したものだ。 保安を理由に調査が不可能だった建物50余棟を含めれば残存する日本軍兵営施設は更に増えるものと見られる。 

 兵営施設は主に基地の北側地域(メインポスト)と南側地域(サウスポスト)に残っているが、それぞれ58棟、66棟が集まっている。 また、基地内の極東工兵団部隊(FEDコンパウンド)に5棟、キャンプ コイナー、キャンプ キム、国連軍家族住居地域(国連コンボイ)にもそれぞれ1棟がある。 メインポストには兵営施設が、サウスポストは宿舎が主にあった所で、建物は全て保存状態が良く、メインポスト側は米軍勤務施設として、サウスポスト側は宿舎として使われている。 キム教授は建物の配置を通じて日帝強制占領期間の日本軍の指揮本部と野戦軍配置構造を垣間見ることができると説明した。 国内で特定地域に100棟を超える近代建築物が過去の景観を維持したまま保存されている事例はここが唯一だ。  

 キム教授は「130棟を超える日本軍の兵営建物が残っているのは日本にも類例がない」として「100年前の日本の韓半島・大陸侵略の実体を示す世界的な歴史文化遺産」と話した。 また、外部に突出したバットレス(主壁を支える外部構造物)を活用した軍兵舎施設は古典主義から近代建築へ移る過渡期の様式を見せており、洋式応接間、ペチカにオンドルを組み合わせたことも特徴だと彼は付け加えた。 キム教授は「龍山駅と連結された龍山基地は、世界戦争史の流れにより日本軍が戦争に対応する方式をそっくり見せる近現代人類文化遺産の価値を持つ」と評価した。  

 一方、パク・ウォンスン市長は龍山公園造成方向を問う<ハンギョレ>の書面質問に送った返事で「現在は米軍駐屯地であるため一般人の接近は不可能だ。 内部がどうなのか分からない状態で保存、撤去を語るより、基地跡内部を公開することが優先だ。 以後に市民の共感の中で、保全しなければならない建物は保全し、撤去しなければならない建物は撤去しなければならない」と話した。

日帝の建築物は、近代建築物の宝庫…類例のない歴史文化遺産" 

今後、韓国はコレどうするんでしょうねsign02

文在寅大統領も朝鮮総督府みたいに(1995年金泳三大統領により)爆破解体するsign02sweat02

ちなみに、このニュースの直前のニュース右(やや要約)

Photo

在韓米軍の司令部がソウルから約60㎞南方のピョンテクに移転。73年間ソウルの中心部・ヨンサンでの駐留を終えて、ピョンテクのハンフリーズ基地に移転し、29日新しい庁舎の開館式が行われた。(在韓米軍のブルックス司令官の挨拶)

ハンフリーズ基地の面積は約15㎢でdangerアメリカ軍海外基地として世界最大規模
基地の中には訓練施設、体育館、映画館など生活施設や居住施設が整っていて、更にアメリカ軍の兵士の子供が通う学校や、百貨店など多くの付帯施設もあり1つの都市と言える。在韓米軍とその家族など約33,000人が滞在

基地の建設にかかった費用はおよそ12兆ウォンで、dangerその9割は韓国が負担

戦時統帥権もどうするんでしょうねsign02

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コメント

この水曜に放送された「未来世紀ジパング」というテレ東の番組で
韓国が申請した世界遺産の無残な様子が放送されてました。

それまで韓国軍が使ってた建物が認定されたそうですが、
訪れる韓国人の見事なまでのマナーの悪さ、それまで使ってた
韓国軍が古タイヤを放置している等々、まぁ、呆れもしませんが、
世界遺産という、あからさまな国連利権のバカバカしさが
滲み出てました。

旧日本軍の施設ということで思い出したのですが、先日、
酷暑の中で横須賀の倉庫が全焼する火事がありました。
どこのニュースで言ってたのか忘れましたが、その倉庫、旧日本海軍の
ものだったそうです。しっかり作られたものは事故がない
かぎり長持ちするもんだなと感心しました。

● いつも読んでいます さん

>それまで韓国軍が使ってた建物が認定されたそうですが、 訪れる韓国人の見事なまでのマナーの悪さ、それまで使ってた韓国軍が古タイヤを放置している等々、まぁ、呆れもしませんが、
世界遺産という、あからさまな国連利権のバカバカしさが滲み出てました。

  「未来世紀ジパング」は好きな番組ですが、地域的に映らないので3週遅れのBSで見てます(^^;
世界遺産の前に文化財さえもカビだらけ・・とかだし、全然驚きません。

>旧日本軍の施設ということで思い出したのですが、先日、 酷暑の中で横須賀の倉庫が全焼する火事がありました。
どこのニュースで言ってたのか忘れましたが、その倉庫、旧日本海軍の ものだったそうです。しっかり作られたものは事故がない かぎり長持ちするもんだなと感心しました。

ラオスのダムが決壊しましたが、
昭和初期、台湾に八田與一が造った東洋一とも言われるダム、健在ですね☆

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