新紙幣のデザインを韓国・中国・アメリカが注目。「経済侵奪の張本人」「日本の儒商」「グレイトウェーブ」【日曜スクープ】
【日曜スクープ】(4/14)<世界が注目・今週のニッポン>で、
新紙幣のデザインを韓国・中国・アメリカのメディアが注目しているとして紹介していたので記録しました↙
渋沢栄一氏について、韓国だけ怒ってるのがなんとも哀れ。
そして、韓国メディアが、新5千円札の肖像になる津田梅子の「(当時の朝鮮を表した)手紙」の内容を知ったら
・・と思うともう気の毒でなりません。
でもまっ、マジでそろそろ「その真実」から目を逸らせるのはやめた方が良いかと。
韓国の見方として、(良かれと思って保護国の朝鮮に初めての通貨紙幣を施そうとした)日本に「屈辱」を感じたというお話ですかね。
韓国では「初めての紙幣」の「肖像画が日本人」というのは、相当「屈辱的な歴史」でしょうから。
ちなみに、この聯合ニュースは、渋沢が設立した第一銀行が大韓帝国時代の1902~04年に朝鮮半島で発行した紙幣にも渋沢の肖像画が使われたとし、「朝鮮半島の初めての近代的な紙幣に登場し、 韓国に恥辱を抱かせた」と主張。
KBSも、朝鮮半島の収奪の歴史を象徴する人物の肖像を採用するのは「過去の歴史を否定する 安倍政権の歴史修正主義が反映された可能性がある」との見方を報道。
何トンチンカンな事を言ってるんでしょう?
当時、朝鮮半島は何をやってもじり貧でもがいていました。日清戦争後に日本の保護国となり、初めての精密な紙幣を日本の造幣局で作ってあげたんですよ、余計なお世話でしたが。
大韓帝国は(1897年~1910年)、日露戦争を境に親日派政権になり、日本の保護国となり,1910年日韓併合で消滅しました。
その前から朝鮮を取り巻く環境はこんな風だったし
«【明治のお雇い外国人】フランス人画家・ビゴーの風刺画(魚釣り遊び)と、日本愛 【外国人記者は見た】»
こういう世界情勢の中、朝鮮半島は・・ホント悲惨でした
近代化と日本の保護国へ
1899年(明治32年)には清と韓清通商条約を結び、独立協会を弾圧して、立法機関である法規校正所において国家基本法である9ヶ条の「大韓国国制」を制定、近代化を目指す光武改革を推進し土地調査や鉱山開発など殖産興業政策を実施するが、財源不足や諸外国の外圧により利権を奪われるなどして挫折する。
1905年(明治38年)、7月の桂・タフト協定(アメリカ)、8月の第二次日英同盟条約(イギリス)、9月成立のポーツマス条約(ロシア)により、日本の韓国に対する排他的な指導権が列強によって承認され、同年11月の第二次日韓協約で韓国統監府が設けられて日本の保護国となった。
韓国人は日本統治時代、日本が「七奪した」と教育され思い込んでいるけど、「奪う」には程遠い、日本の持ち出しでした。
百田尚樹氏の「今こそ日本の謝ろう」の元本で、一次資料だけを研究した松木国俊氏の話です
« 『ほんとうは"日韓併合"が韓国を救った!』 (前半) »
←櫻井よしこ氏推薦
・・松木氏「そーなんですね。やはり戦前の韓国の人達、非常に頑張ったんですね。非常に頑張ってあれだけ短期間でこれだけのその近代化を達成した。
ところが、今、その朝鮮の歴史について、韓国ではいわゆる七奪と言われましてですねぇ、7つの物を日本が奪ったと。
いわゆる国王・主権・土地・国語・名前・命それから資源。この7つの物を日本が統治時代に奪ったと、まぁ言っているわけなんですけれども、
えー、これがですねぇ、本当にそうであるかどうか。私もその
1次史料をですね、いろいろ調べてみましたところ、実態はそうではなかった。
韓国の人達も非常にアクティブにですねぇ、日本とともにその近代化にもう邁進していたということが段々分かってきまして、
ですから、ここで今その韓国のその七奪という、いわゆる反日教育。これをやるという事が、むしろ韓国のその祖先、アナタたちの韓国のね、祖先の人達の努力をむしろ貶めているんだ。という事は逆に言うと、祖先の事を貶めるという事が、今、自分の体に流れているその韓国人の血も、これも誇りが持てなくなって来る。・・
あと、日本が朝鮮を、いわゆる「植民地」にした。というのも違います。
正式には「併合」。これは凄い大事な事。
これをツイートすると必ず「植民地だ」と言い張る人が出てくるけど、植民地の王と婚姻させた宗主国はありません。植民地の王族は根絶やしにされていますから
2018年10月、韓国最高裁で「元徴用工」の賠償権が認められた訴訟は、日韓関係に影を落としています。韓国は日本の不法な植民地支配を主張していますが、実際には、1910年の韓国併合から第2次世界大戦にかけて、日本は韓国のことを「日本の一部」として、さまざまな支援を行ってきたのです。その「愛情」の一つだといえるのが、皇族・方子妃を韓国王族・李垠に嫁がせたこと。彼女の生涯を追いながら、当時の日韓関係を見てみます。
■朝鮮は「植民地」という搾取の対象ではなかった
かつて、日本は韓国のことを大切に考えていました。今日の我々が想像する以上にです。方子(まさこ)妃の存在がそれを示します。日本は韓国・朝鮮人を同胞と見なし、皇族女性を韓国王族に嫁がせ、姻戚関係を結びました。その女性が方子妃です。
昨年の10月のいわゆる「元徴用工」裁判の判決文では、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として、「元徴用工」の賠償権が認められました。しかし、日本は「不法な植民地支配」などしていません。
当時の韓国・朝鮮半島は日本の「植民地」ではなく、「日本の一部」だったのです。日本と半島の関係は例えるならば、かつてのイギリスとアイルランドとの関係に近いものです。イギリスにとって、インドは植民地でしたが、アイルランドは植民地ではなく、「イギリスの一部」でした。これと同じことが日本と半島との関係についても言えます。
日本が当時の半島を植民地という搾取の対象として見ていたのならば、皇族が韓国王族と姻戚になることはあり得ません。イギリスは植民地インドの帝室(旧ムガル帝国)に対し、王族を嫁がせるという発想すら持ちませんでした。ただの搾取の対象に過ぎなかったからです。皇族を嫁せた日本は半島を決して、そのように捉えていなかったのです。
日本は極貧状態であった韓国に、道路・鉄道・学校・病院・下水道などを建設しました。特に、ソウルでは、劣悪な衛生状態で様々な感染症が蔓延していたため、病院の建設など医療体制の整備に最も力を入れました。支出が超過するばかりで、日本にとって何の儲けにもなりませんでした。
今日、日本の学校の歴史教育では、日本の朝鮮統治が植民地的収奪であったかのようなイメージを教えられ、「当時の韓国=植民地」という図式が多くの日本人の頭の中に刷り込まれています。しかし、方子妃の威厳に満ちた歩みを冷静に見ていけば、日韓関係の真実もまた、見えてきます。
■方子妃の夫・李垠とはどのような人だったのか? (中略)
■仲睦まじかった李垠殿下夫妻
韓国では、「李垠殿下は大日本帝国の人質だった」と教えられています。人質に、日本皇族の女性が嫁ぐことはあり得ませんし、日本が韓国に対して、人質をとらなければならなかった必要性などもなかったのです。
李垠殿下は幼くして、日本に留学しました。それを「強制連行した」と韓国では教えられています。学校さえまともになかった当時の韓国を哀れみ、日本は李垠殿下ら韓国王族に教育の場を提供しました。彼らが高度な教育を受けて、世界の情勢を理解できるようになり、日本人の同胞として育っていってくれることを期待しました。当時の大正天皇の皇后は幼少の李垠を可愛がり、大切に養育しました。「強制連行」などという事実はまったくありません。
ところで、韓国併合後、日本は半島各地において、学校建設と公教育の制度化にも力を注いでいます。
(中略)
■韓国で生涯を閉じた方子妃の誠心誠意
戦時中、日本の士官学校で教育を受けた半島出身者の多くの将校らも日本軍と共に勇敢に戦いました。戦後、彼らの多くが韓国で、軍の要職に就きました。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領などはその代表です。
(中略)
方子妃の願いが叶い、1965年には日韓基本条約が結ばれ、両国は正式に国交を結び、日本が韓国を経済的に支援することになりました。こうした歴史の真実を、「植民地」や「不法統治」などと言って、日本を批判している韓国の人々にこそ、理解して頂きたいものです。(著作家 宇山 卓栄)
そして、
「新5千円札の肖像になることが決まった津田梅子は、日本の女子教育、英語教育の先駆者ですが、でももう一つの顔があった。津田梅子は朝鮮、朝鮮人を軽蔑していた事実です。彼女は朝鮮人を動物よりも汚い野蛮人だと手紙に書きました」
と問題視している人達がいます。
「女性の社会進出の先駆け」☆のハズが・・思ったのと違うー!と、「パラドックス」と言いたいのも分かるわ(苦笑)
2006 日本コミュニケーション学会九州支部 【 研究ノート 】近代化の歪みに挑んだ明治の女性たち1)
―津田梅子と石井筆子の異文化受容のパラドックス―
清水孝子(日本文理大学)
http://www.caj1971.com/~kyushu/KCS_04_Shimizu.pdf…
「2.2.2.1883(明治16)年9月30日の手紙父が帰ってきました。2、3日前
に、思ったよりも早く着いたのです。朝鮮についてとても興味深くおもしろい話
をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりま
しだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。彼らは衣
服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ
立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。寝食や労働のため
に一つの部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたる
くらいのものです。...彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なので
す。...父が私に朝鮮について多くのことを話してくれました。あなたの記事のた
めに、聞いたことを書いてまとめたいと思います。きっと、とても関心をもたれ
ると思いますので、書いたら送ります。ある意味で、世界で最悪の国のように思
われます。日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精神的にも日本人の特徴
ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、どうして人間
がそのようになれるのか驚きです。(高橋、2002、pp. 188-189)」
この私信をヘイト認定するのはナンセンス。教育者が、冷静に見た「真実」がここにはあるから。
津田梅子の父の見た朝鮮もこんなカンジかと。ホント、そのまんまです。是非、全文読んでみて下さい
«崔基鎬氏「なぜ朝鮮人は嘘をつくのか。『もしも』で作る歴史」 【チャンネル桜】»
・・両班(リャンバン)(エリート貴族階級)と白丁(ペクチュン)の差は物凄くて、、
両班は一切仕事も何もせず、朝から晩まで空理空論で過ごす。一般大衆・農民の生産物を勝手に処分する。
江戸時代は『働かざる者食うべからず』と言ったくらい、勤勉で、各藩が産業開発と経済発展に競争的にやったが、
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朝鮮の場合は全く何もしない。遊んで暮らす。
一言で言えば『働く者は食うべからず』 働く者は皆軽蔑されるので商工業というのは全然ない。・・
関連ツイート
近代医学の父の北里柴三郎氏を帰国後、支援したのは 脱亜論の福沢諭吉。
3人共江戸生まれで昭和初期まで生き抜いた人。
他にも、明治時代に必死で現代日本の礎を作った人達が大勢居ましたね。
その土台が江戸時代の教育というのも驚きですが、
そういう人達が、「朝鮮」を見て、凄い違和感を覚えたのは当然の事だったと想像します。
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